JR百舌鳥駅構内に彼岸桜が咲いています。
3月7日(木)、KIGAでは熊野古道・紀伊路を、堺市の百舌鳥駅から鳳駅まで歩きました。午前9時30分集合、16名の参加がありました。
今日の講師は脇田孝豪先生(大阪府高校社会科教師、元宝塚大学顧問)です。
百舌鳥大仙古墳(仁徳天皇陵)の前を通り、宿院に向かいます。
宿院頓宮 宿院頓宮は住吉大社の御旅所としての神社で、文化13年(1816)が始まりとされています。後に大鳥神社の摂社も遷座され、それ以来、2社の神様を祀っています。
毎年7月31日には大鳥大社からのお渡りが、8月1日には住吉大社からのお渡りと、飯匙堀(いいがいぼり)での荒和大祓神事が行われます、
飯匙堀は海幸山幸の伝説により、潮干珠が埋められたと所と言われ、どんなに雨が降っても水がたまらない不思議な場所と伝わっています。
山之口商店街の看板がみえます。商店街の中を歩きましょう。
山之口商店街のアーケードの中には香の店もあります。アーケード内、右手に開口(あぐち)神社の鳥居が見えます。
開口神社(あぐちじんじゃ)
旧市内唯一の式内社で、塩土老神(しおつつのおじのかみ)、素戔嗚神(すさのおのかみ)、生国魂神(いくたまのかみ)を祀っています。
天平18年(746)、行基が境内に念仏寺を建立し、大同元年(806),空海が宝塔を建てたので「大寺」とも呼ばれています。
元禄3年(1690)に制作された土佐光起筆の「大寺縁起絵巻」、伏見天皇真筆御歌集、短刀銘吉光が国指定重要文化財に。また、「開口神社文書」は鎌倉時代から江戸時代の開口神社と大寺念仏寺関係の古文書で府の有形文化財にしてされています。
開口神社の境内に与謝野晶子の歌碑があります。
与謝野晶子
日本近代の女性文学史上で有名な与謝野晶子は明治11年(1878)、堺市甲斐町の大道筋に面した菓子商、駿河屋の娘として生まれました。
本名は鳳志ょう、17歳の頃から和歌を詠みはじめ、のちに与謝野鉄幹主宰の東京新詩社の『明星』に詩歌を発表するようになった。
明治34年(1901),上京して鉄幹と結婚した。同年『短歌集』を刊行し、浪漫派の中心人物として鉄幹氏の具名声をえた。
生涯をかけて詠んだ歌は5万首といわれ、28冊もの歌集を編んだ。昭和17年(1942),64才で没した。
晶子の歌の初期の作風は大胆な自己表現やナルチシズムをともなった鮮烈で華麗な官能美をうたいあげているものが多く、堺では不倫な行動に走った人として同世代には認められなかったが、最近になって人柄・情熱が評価され、歌碑、詩碑も数を増やしている。(『大阪の歴史散歩』山川出版社 より)
境内の狛犬
珠をもっています。
こちらの狛犬は子どもと一緒です。
私たちは開口神社から利晶の杜に移動し、館内の見学をして再び歩き始めました。
千利休(せんのりきゅう)邸跡です。
宿院から熊野街道にもどります。途中、ケシ餅で有名なこじま屋により、続いてかん袋へ。
かん袋の近くの公園で遅いランチタイムとしました。
昼食をすませた後、南宗寺を拝観し、熊野街道に戻って歩きました。
土井川の傍に説明板が立っています。
環濠都市遺跡の説明板
室町時代後半から江戸時代初期にかけて、堺の町は商人たちの自治組織として栄えました。南北約3km、東西約1kmの環濠は自治組織堺の象徴でもあったのです。
中世、「町は甚だ堅固にして、西方は海を以て、また他の側は深く堀を以て囲まれ、水充満せり」と宣教師ガルパル・ビレラが伝えています。
しかし、豊臣秀吉が天正11年(1583)、大阪城を築造し、この城の近くに環濠をそなえた武装都市を置くことは危険だとし、天正14年(2586)、堺の環濠埋め立てを命じました。その後、慶長20年(1615)、大阪夏の陣で堺の町は全勝しました。
徳川幕府により堺の復興の尽力し新な環濠を掘りました。その範囲は当時の環濠より一回り外側を巡っており、その範囲は東を阪神高速堺線、西を内川、南を土井川に囲まれた内側にあたります。(説明板より)
土井川の欄干のかかる表示「熊野街道」との記載があります。
「さか井のゆあみ」との記載。藤原定頼の歌集から。
こちらは「小栗街道」と書かれています。
石津神社につきました。
石津神社 阪堺線の石津駅をはさんて石津太神社と石津神社があります。『延喜式』に記載の「石津太神社一座」にあたるとして両社が本社であると主張しています。
両社とも同じ社伝が伝わり、同じ蛭子神を祭神とする。石津太神社の縁起のよると、蛭子神が海辺に漂着し5色の神石をおいたことから「神石」「石津」の地名がついたとう。
しかし『新選姓氏録』にみえる石津連の祖を祀ったものと思われます。平安朝以降、天皇の行幸があり栄え境内は八丁四方の広さであったが、大阪夏の陣の兵火にかかり本殿ほか古文書など一切が廃塵に化したという。
蛭子神は戎神としても親しまれ、石津太神社の戎神は日本最古の神とする。蛭子神が漂着したと伝える陰暦11月14日は、凍えていた命のために、浜の漁師たちが18のわら束を炊いたという故地が伝わり、今でもヤッサホイという火渡りの神事が行われています。
祭りは修験道との関わりが深く、冬至の頃の火祭りなので、太陽復活の祈りが込められているという説もあります。(『大阪府の歴史散歩』より)
熊野街道の標識があります。
石津の交差点
見上げれば「鳳小栗街道」の標識です。
大鳥神社
摂社、美波比神社
大きな木があります。大鳥大社のご神木です。
値上がりの大楠。値が上がるのは景気はよくなる(好景気)と。現代の日本経済の物価高騰もやがて景気上昇につながるのでしょうか?