99 Ojis in Kumano Kodo  Kii Route/ 熊野古道・紀伊路の九十九王子

Ancient Pilgrimage Road To Kumano / 熊野へのふるみち

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   熊野参詣道は紀伊半島の99王子を巡る旅です。古代、上皇たちは大阪から紀伊路を通り、本宮へ向かいました。
   Kumano Pilgrimage Road is a trip over 99 Ojis of Kii Peninsula. In ancient times, many Joko (Retired Emperors) headed from Kubotsu Oji (Osaka) in Kii road to Kumano Sanzan (Hongu Shrine, Hayatama Shrine and Nachi Shrine)

   99王子とは数が多いことからと言われています。時代が変わり古道のルートが変わると、王子の場所も数も変わってきています。

   The meaning of 99 Oji is said to have been a lot of number. When the times went down and the route of Kodo changed, the place and number of Ojis have also changed.

   熊野古道の王子について、熊野の皇子神という説と、分霊という説があります。もともとは各地の人々で祀られていた霊的な地を、修験道者たちが歩きはじめ、後に上皇たちが歩いたと思われます。

There are two theories about Ojis of Kumano Kodo. One is the theory that it is the son of Kumano god, and the other is the the theory of the divine spirit of the Kumano god.
It is thought that the Joko walked while visiting the spiritual place which was originally secured by the people of each region.
Or, in the earlier age, it was also the road the mountain monks walkd there.(M.A)



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# by wakayamakiga | 2018-10-16 11:34 | Kii route /紀伊路 | Comments(0)

熊野古道歩こう会10月のご案内

 蜜柑、柿が店頭に並びはじめました。季節はもう秋ですね。 
 KIGAの10月の案内です。
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 熊野古道・紀伊路 -④ 
 海南駅~拝の峠~蕪坂~紀伊宮原へ

 :日時 10月4日(木) AM8:30 
:集合 JR海南駅
 【コース予定】 海南駅➡一の鳥居➡祓戸王子➡鈴木屋敷➡藤代王子➡有間皇子の墓➡筆捨松)➡塔下王子➡橘本王子➡所坂王子➡一壺王子➡拝の峠➡蕪坂塔下王子➡爪書王子➡山口王子➡伏原の里➡紀伊宮原駅(約14,4km。標高差350m)
:参加費 500円(資料代など)


 熊野古道・大辺路‐④ 
 長井坂 周参見駅~見老津駅

:日時 10月18日(木)
:集合 JR和歌山駅東口 AM7:50 (レンタカーで移動します)
【コース予定】周参見駅➡馬転坂入口➡タオの峠➡和深川王子➡長井坂西登り口➡茶屋の段➡見老津駅(約10,5km。標高差230m)
:参加費 500円(資料代など) 交通費実費(レンタカー代金、高速料金を参加者で分担します)

熊野古道 紀伊路 道成寺~岩内古墳~紀州鉄道・西御坊駅
万葉ウオークと公演
 Musical 宮子姫~有間皇子塚がむすぶ縁~
 

:日時  11月11日(日)
:集合 JR 和歌山駅 東口 7:30 出発8:00 (貸切バスを利用します) 

【コース予定】JR和歌山駅8:30➡御坊駅10:20➡道成寺➡九海士王子➡湯川子安神社➡岩内王子➡岩内1号墳➡野島の万葉歌碑➡西御坊駅➡御坊市民文化会館(ミュージカル会場)14:30 公演終了16:40
:講師(敬称略)馬場吉久(全国万葉協会)/山元晃(紀伊風土記の丘) :公演 劇団KCM ➡(バスで)御坊駅➡JR和歌山駅20:00予定

【ウオーク参加費 】500円+貸切バス代2000円(要予約) 【ミュージカル入場券】1500円、当日券2000円
●11月10日(土)18:00 講演「宇宙から見た紀伊半島」久保田弘敏教授(帝京大学客員教授)無料
●同日、会場の川辺天文公園内で親睦会があります。会費4000円(食事代)宿泊もできます。



KIGA 熊野・高野国際語り部の会
【申込・連絡先】〒640-0302 和歌山市永山83-5 東 道  ℡ 073-478-2711 / 090-2062-7778
E-mail kiga@silk.plala.or.jp http://wakigaaris.exblog.jp/ http://ariskiga.exblog.jp/




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# by wakayamakiga | 2018-10-16 11:34 | Information/ウオーク案内 | Comments(0)

Kii route-4 From Kainan to Miyahara 紀伊路・海南駅~紀伊宮原へ

10月4日(木)、朝から雨です。熊野古道・紀伊路の海南駅から紀伊宮原駅まで約15km。9名が歩きました。
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  海南駅からJRの線路の下をくぐり海南市鳥居の日限地蔵寺へ。この寺には全国各地から集まった沢山の地蔵が祀られています。日を限ってお願いすると叶えられるという信仰があります。古い時代の石垣が残っています。鎌倉時代、この近くに大野城があり、紀伊国の政所でした。境内に領主の山名氏の供養塔があります。


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  日限地蔵寺の裏山に上がると、隣のお寺の境内の山の後方に小さな仏像があります。ここから古道に入ることができます。


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  右手にまわると海南市内の景色を見渡すことができます。


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  「祓戸王子の跡」と書かれた石の標識があります。高さは120cmくらいでしょうか。



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 石標から戻り、林の中を歩きます。


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  道路沿いに小さな石仏が並んでいます。


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  紀州で生まれた徳本上人の名号碑があります。


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  古道の雰囲気の残る林をおり、民家がならぶ街道を歩きます。藤代神社の森が見えてきました。道路脇に「小栗街道」の標識があります。熊野古道は小栗判官が歩いた道でもあります。


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  全国で一番多いと言われる鈴木姓のルーツはこの藤代神社の鈴木さんです。ここに鈴木さんの屋敷あとがありました。


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 現在、復元工事がすすめられています。平安時代にはこの屋敷の前で曲水の宴が催されていました。 


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 藤代神社に着きました。創立当時、神社の入口は北側にあったそうです。 


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  藤代神社境内の子安神社です。この地方では子どもに熊、楠、藤の名をつけると丈夫に育つと言い伝えがあり、南方熊楠は幼少時代は病弱でしたが、この社の神主さんに熊楠の名をつけてもらってから、丈夫で賢い(天才!)子に育ったそうです。


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 「聖王三代重石」が境内の中ほどにあり、平安時代、宇多・花山・白河三上皇が熊野御幸を記念して建てられたものです。現在は2基が残っています。


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藤白王子神社:祓戸王子から歩いて約17分の所に、藤白王子神社が山の中腹にあります。海南市の景色を一望でき、和歌の浦を遙かに望むことが出来ます。主祭神は、饒速日命(にぎはやのみこと)です。藤白神社本殿は、和歌山県の重要文化財に指定されています。
この藤白王子神社は、658年に斉明天皇が、牟婁の湯(白浜温泉)に行幸の時に,この地を訪れ創建されたと言われます。この社は、熊野古道の中でも最も格式のある五躰王子の一つとされています。 また、聖なる熊野三山の最初の玄関口であり、大きな鳥居がありました。

About 17 minutes' walk from Haraido Oji, Fujishiro Oji Shrine is located on half way up the mountain. A panoramic view of
Kainan city and Wakano-ura far accross the ocean can be seen from here. The main deity is Nigihaya no Mikoto. The main
building is designated as an Important Cultural Asset in Wakayama pref. It is said that this Oji Shrine was built under the
request of the Empress Saimei when she travelled to Murono Yu (Shirahama hot spring) in 658. This shrine is said to be one of the five most important Ojis of the Kumano Ancient Road. There was a large Torii gate, which was the first gateway to get into the Sacred Kumano Sanzan region. (by T.S.)

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 右隣に「藤白王子権現社」が建っています。


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 熊野の本地仏三尊が並んでいます。

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  有間皇子神社
 権現堂の西に有間皇子神社があります。斉明4年(658)孝徳天皇の皇子、有間皇子がこの近くの藤代峠で謀反の罪をきて19歳で絞殺されました。皇子の命日の11月11日に毎年、慰霊祭が行われています。

Arima-no Miko Shrine and Arima-no Miko Story

There is a small shrine at the left side of Fujishiro-oji Gonngen Shrine. The deity of this shrine is Arima-no-miko who is a son of Emperor Kotoku.
Before he was born, a bog coudpter happened. It called ' Taika-no-kaishin" or " Isshi-no-hen".
In 645, at the age of Kogyoku Empress, Nakano-ohe-no-oji, son of Kogyoku Empress killed a minister, Soga-no-iruka whoes family had a big political power in Yamato(old name). After the revolution, Kogyoku's brother Karu-no-miko who is Arima's father became the next Emperor as Kotoku. Arima was 5 years old. Kotoku wished that foreign countries and Japan came maintaine peace. Nakano-ohe thought Japan must be strong to not be defeated by foreign countries.
One day, Nakano-ohe took off all his servants back to the Asuka palace from Naniwa. Kotoku Emperor lost everything and he fell ill with mental illness. After a while he passed away.
Arima-no Miko grew up into a handsome and clever young man. When people took his rumor, he is suitable to be the next Emperor, Nakano-ohe thought of a plan.
4 years of Saimei(658), Arima-no Miko was murdered at Fujishiro pass. His sin was doubted for conspiracy. He was 19 years old.
There is a small grave at the foot of Fujisiro pass behind the shrine.
After the times have changed, when Jitoh Empress, the daughter of Nakano-ohe visited here, her fellowes made a Manyo Poem.
[Fujishiro no Misaka wo Koyuto shirotae no waga koromode ha nureni keru kamo]. It means that when I passed the Fujishiro Slope, my sleeve of clothes got wet (with tears).
It is said that his true tomb is at Gobo that is called Iwauchi 1st Kohun.
(by Michi A.)

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 「藤白の み坂を超ゆと 白妙の わが衣手は濡れにけるかも」持統天皇が行幸の時、供の者が詠んだ万葉歌です。海南市出身の故打垣内正さんが作曲され、歌碑も譜面です。

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 境内の右手に故雑賀紀光氏宸筆の万葉歌碑が建っています。


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 古道はここから西へ、海を見ながら歩きましょう。


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 紫川です。「むらさき」は万葉歌の名高にかかる枕言葉です。名高とか「有名な」という意味ですが、勿論、海南市名高のことです。村の先という意味もあるそうです。

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  藤白峠の上り口に有間皇子の墓が建っています。この墓は近年になって建てられたもので、元同志社大学の森教授によれば、御坊市の岩内1号墳が有間皇子の墓とのことです。この峠の藤が白いので藤白との説がありますが、藤代の文字もよく使われれています。

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  有間皇子の墓と万葉歌碑が並んでいます。


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  坂道を少し歩くと右手に徳本上人の名号碑があります。


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 万葉時代から日本に咲く花が沢山、咲いています。これはウハギです。


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  藤代峠の丁石仏です。むかし、悪い駕籠かきがいて距離をごまかし、不当な金額をとったので、近くの専念寺の全長住職が一丁ごとに石仏が立てました。怒った駕籠かきが石仏を崖の下に放り投げて無くなっていたのを、近年、地元の有志により復元されました。

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 さあ、ここから登り坂です。


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 自然の景観が残る道が続いています。


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 途中、竹やぶになりました。

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 頂上付近に「硯石」があります。古い時代から藤代炭は質が良いと言われ有名でした。この石は江戸時代に徳川頼宜によって作られた石のレプリカです。近くに筆捨松があります。

 筆捨松
 平安時代の宮廷絵師、巨勢金岡が熊野詣での途中、藤白坂で写生をしていると,ひとりの童子が現れ「どちらが上手いか競争しよう」と言いました。そこで,金岡は,「松に鶯」を、童子は「松に烏」を描きました。金岡が手を打つと鶯が絵から飛び立ちました。童子が手を打つと烏も飛び立ちました。もう一度、童子が手を打つと烏が絵の中に戻りましたが、金岡がもう一度手を打っても鶯は戻りませんでした。
 それで、金岡は悔しがって絵筆を投げ捨ててしまったことから、筆捨松と呼ばれています。童子は熊野権現の化身で、烏は八咫烏であったと言われています。

Fudesutematsu
In the Heian era, there is a court painter,Kosenokanaoka.
One day, when he was drawing picture at Fujishirozaka on the way to Kumano.A boy appeared and said, “Who is better,you or me” So,Kanaoka drew “nightingale on the pinetree.”The boy drew “crow on the pinetree.”
When Kanaoka clapped his hands,the nightingale flew away from the picture.When the boy clapped his hands,the crow also flew away from the picture. Once again,when the boy clapped his hands,the crow returned to the picture,but when Kanaoka clapped his hands once again,the nightingale didn't return.
So, Kanaoka regrets it and threw away his paint brush.
It is called “Fudesutematsu”(fude means paint brush,sute means throw away,and matsu means pinetree.)It is said that the boy was the incarnation of Kumano Gongen deity, and crow was Yatagarasu (symbol of Kumano). (by Michiko Y.)


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 雨にもまけず、ひたすら歩きます。


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 もうすぐ頂上?景色が明るくなってきました。


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 17丁石と18丁石が見当たらないと思ったら、ここに3体が並んでいました。

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 道路が平坦になっています。今度こそ頂上です。


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 和歌山県の4大宝篋印塔といわれる、峠の宝篋印塔です。


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 地蔵峯寺に無事につきました。


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 地蔵峯寺の中の石仏は一枚の岩に刻まれています。


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 寺の左側に塔下王子跡の標識があります。


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 塔下王子です。かなり摩耗しています。右手後方に海岸を見る「御所の芝」があります。残念ながら今回は雨で見晴らすことができませんでしたが。


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 地蔵峯寺で昼食をとり、下山します。少し歩いてすぐ左手の藪の中に古道が続いています、標識を見落とさないように注意しましょう。
 道なき道をかきわけて歩きます。一部、林道と交差しています。


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  阿弥陀寺で「橘本王子」の碑をみて、さらに右手へ(西)へ歩くと副勝寺があります。空海が唐へ渡る前に修行した寺です。
180段の長い階段を上ると、山すそに「裏見の滝」があります。普段は滝の量が少ないのですが、この日は運よく、雨であったので水量が多く、滝を見ることができました。滝の裏を歩いて裏側から見ることができるので「裏見の滝」です。

Fukusyoji Temple

Kukai founded this temple,and it belongs to Koyasan Shingon sect.
The main deity is Senjukannon(a thousand hands-on kannon buddha). The main hall and Gumonji hall are designated as important cultural assets.

ln between the main hall and the mountain,there is a waterfall with the height of 20m and width of 3m. You can see the back side of the waterfall. So,it is said that when the first Kisyu lord, Tokugawa Yorinobu visited there, he named “Urami no taki” ( ura means back, mi means see, and taki means waterfall). ln the rocky caves, the Fudoson statue that Kukai was engraved,Enshrined. You can pass through the back of the waterfall.
In the past, it is said that it was the place for mountain priest training. (by Michiko Y.)


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  賀茂川にかかる木の橋を渡ります。


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 賀茂川に鴨が・・・。


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橋から川沿いに約10分で、橘本神社があります。ここは所坂王子跡でもあります。

After about 10 minutes walk from the bridge, there is Tachibana-shrine. Tokorozaka-Oji ruin also locates here.


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 橘本神社に着きました。
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 橘本神社の境内に「所坂王子」があります。
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  橘本神社は、垂仁天皇の命を受け(紀元60年頃)、橘の木を、南アジアから持ち帰りここに移植したと云われる 田道間守(たじまもり)を祀っています。田道間守(たじまもり)は、柑橘と菓子つくりの祖と云われ、菓子職人の信仰を集めています。

  Tachibana-shrine was set up in memory of Tajima-mori, who is believed to bring green citrus (Tachibana tree) from South
Asia to Japan, after a long searcing journey by the order of Suijin emperor (about A.D. 60). Tajima-mori is believed to be an
originator of Japanese cakes made of the local yam, in addition to green citrus cultivation.
Many cake makers visit here for the confectionary festival every year. (by H.S. )
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 橘の木に青い実がついています。
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 橘本神社から川沿いの道を歩いて、山路王子神社へ。


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 階段を上った所に山路王子神社の社殿があります。赤ちゃんが相撲をとる?丈夫に育つようにと、願いを込めた「泣き相撲」が有名です。


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 山路王子神社から拝の峠を上ります。這いながら登るので這いの峠、との説もあります。登り坂が続いています。この標識を見て左折。このコース最後のしんどい坂道です。


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 やっと、頂上へ着きました。古道はここから蕪坂を越えて有田市宮原へ向かいます。途中、右折すれば長保寺を通って下津駅へ。


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 万葉歌碑が立っています。


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尾根道を歩いて蕪坂王子です。


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 ここにも万葉歌碑があります。


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 雨が止み、周囲が少し明るくなってきました。遠くの景色が見えています。


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 有田市の民家の屋根が見えます。


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 急な坂道を下っていくと、社があります。太刀の宮です。

 太刀の宮 Tachi no miya :the shrine of sword

  宮崎定直は約400年前に真田幸村に抜擢されました。彼は1614年の「大坂冬の陣」で徳川家康と戦い、破れました。彼は故郷の有田・宮崎に逃れました。
  伝説によれば、彼は小さな神社にたどり着いて眠ってしまいました。多数の追っ手が取り囲んで襲ってきました。彼は動くことができませんでしたが、彼の刀が独りでに戦い、追っ手をすべて殺しました。刀は2つに折れましたが、彼が拾い上げると元にもどりました。以後、ここは「太刀の宮」と呼ばれています。
彼はとても有能な武士だったので、追っ手の気配を感じとり、人形を寝かせて待ち伏せをしたのだと思います。

  Miyazaki Sadanao was head hunted by Sanada Yukimura about 400 years ago.He fought "Osaka-Fuyu-no-Jin" the winter battle in 1614 and lost to Tokugawa Ieyasu. He escaped to his home village Miyazaki, Arida district in Wakayama.
 Legend said, he arrived at the small shrine and slept there. Many pursuers surrounded and attacked him. He could not move, but his sword fought by itself and killed all the pursuers. His sword was broke in two. He picked it up and the sword recovered. Since then people called this shrine "Tachi-no-miya", the shrine of sword. 
I guess he was a very skilled warrior, so he thought pursuers were comming and ambushed then using his sleeping dummy. (by Yasuo H.)


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 蜜柑畑の中の坂道を下ると広い道路にでました。道路の左側に山口王子があります。
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 山口王子跡の碑が立っています。
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 伏原の墓です。古代、熊野古道に出る旅人は、行き倒れになった場合に備えて、着物の衿に葬儀のためのお金を縫い込んでいたそうです。死を覚悟しての旅だったのですね。
 古道はここから有田川を越えて糸賀峠へ向かっています。
 私たちはJRきい宮原駅まで歩きました。

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# by wakayamakiga | 2018-10-05 20:05 | Kii route /紀伊路 | Comments(0)

Ohechi route-3 From Ago to Susami / 大辺路ー3 安居~仏坂~周参見王子へ

 9月20日(木)、朝からあいにくの雨でしたが、KIGAのメンバー13名が紀伊路の仏坂越えの道を歩きました。 午前9時、「安居の渡し場」へ。

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  山間の景色に木造船がとてもよく似合います。


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  「安居の渡し」の標識が立っています。


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  「渡し舟」に乗りました。小雨の中、周辺は霧がかかり、とても良い雰囲気です。
  
  安居の渡し
  安居の渡しは熊野古道大辺路の富田坂を下った安居の集落から仏坂、日置川を渡る渡し船です。大辺路街道では唯一、舟で渡る熊野古道です。川幅30m程。昔は今の倍ほどあり、かなりの水量だったといいます。
   
   往時より渡し船が往来していた場所であり、江戸時代には紀州藩主や京都から三宝院門跡が大勢の随行者を連れて通る際は、川に船を並べて、舟橋を架けていました。
   この渡しは昭和29年9月に廃止されましたが、平成17年に地元の人々の手によって「大辺路安居の渡し保存会」が結成され、昔ながらの渡し船が復活し、当時の風情を伝えています。

  電話予約 0739-53-0194(平日9:00~15:00 利用日の3日前迄に)
  料金   1人 500円

   
   Ago no Watashi Ferry 【World Heritage】

   Ferries have crossed back and forth here since old times. In the Edo Period, when feudal lord from the state of Kii (Wakayama) and Sanpouin Monzeki from Kyoto crossed with their many attendants, ferry boats were arranged side by side to form a bridge. 
   Though the ferry service here was discontinued in 1954, it was rivived in 2005 by local residents through the formation of the Ohechi Ago Ferry Preservation Association. It is continued today in the same aesthetic as in old times.(Yumiko.S)

  Reservation required Tel: 0739-53-0194 500 yen per person 


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  渡し場から約1km、急な登り坂が続いています。山頂付近は道幅が狭くなっています。滑らないように気を付けて歩きましょう。



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    道標を見て、道路は左に曲がります。


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   桂松跡です。ここまでの標高差180m、ここから頂上の「茶屋跡」まで約200mです。
桂松跡:  江戸時代紀行文中に見られ、古くから知られていたようである。 1,689年の"紀南郷導紀"に"カツラ松の坂”、そして寛政年間の"熊野巡覧紀"には、"峠に桂松有り”としています。 また"熊野街道沿村取調私記”では、”カツラ松、一里塚松の山”と記されました。和歌山から25里(約100 km)の距離です。 桂松の名は、その上部がカツラをかぶったような形をしていたのでそう呼ばれました。

   Vestige of Katsura Pine: The name of "Katsura Pine" was seen in travelogues from the Edo Period and it had been known for some time. "Kinan Kyoudouki "in 1689 mentions "Katsura Pine Slope" and Kumano Junranki" in the Kansei era notes
"Katsura Pine Pass". In one personal account of villages along Kumano highway, Kumanokaido Torishirabe Shiki, Katsura Pine
was regarded as a milestone. It is a distance of 25 ri from Wakayama city. (about 100 km)It was so called because the upper part of its pine tree was shaped like a wig. (by T.S)
 

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  「仏坂の茶屋跡」に着きました。ここから尾根道を少し歩き、下り坂となります。
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   急斜面の山道です。


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   林道へでました。林道と交差しています。

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  道路の向こう側に古道が続いています。今はこの道は熊野古道として勧められていませんが、歩いてみることにします。

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  古い時代、電線をつないだ器具です。かつて、この道は幹線道路であったことを知ることができます。

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  石畳の道が続いています。古道らしい雰囲気があり、足に柔らかく歩きやすい道です。

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  大辺路、仏坂No30と書かれた道標があります。少し前まで、この道が熊野街道であったことを知ることができます。

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  とても歩きやすい尾根道です。でも、この先から道路は歩けなくなっています。土砂崩れがあったのでしょうか?
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  やむを得ず林道まで引き返しました。一日も早い道路の復興を願っています。 



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  林道を下村に向かって歩きます。途中、珍しい木があり花を咲かせていました。


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  下村に着く頃には雨が本降りになってきたので、雨宿りできる所を探しました。橋の下?でも、そこに13人は無理でしょう! 運よく、下村の集会所らしき建物が目に入りました。その建物の軒下を借りることにしました。今日はここでランチタイムとします。



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  下村から222号線を南に向かって歩きます。雨の中、彼岸花の赤い色が鮮やかです。


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  山間の道沿いに山野草がたくさん咲いています。
 

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   太間川に沿って歩きましょう。

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 道路脇に小さな石仏が祀られています。よく見れば足で鬼を踏んづけています。

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 見上げれば岩のくぼみに大きな蜂の巣がありました。

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   地主神社
   入谷橋の手前を左に入ると地主(じぬし・じのし)神社があります。倭国が成立する前の時代から、人々は大きな樹や巨岩や滝などをご神体として祀り、崇拝してきました。ここは入谷地区の神社として古くから祀られきました。巨岩と森をご神体といているので、社はありません。
Beside Iritani-bridge, you can find Jinoshi-shrine, which enshrines a big stone and the surrounding forest.
There is no Torii-gate nor shrine building which are typical features of Japanese shrine. Jinoshi-shrine preserves a primitive style of nature worship by the local people. (by H.S)
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    振り返れば大きな岩がありました。The big rocks above Jinoshi-shrine.
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  太間川に架かる堀切橋を右手に見て左折、JRの踏切を渡り右折します。周参見王子神社です。地主神社から約3,5km。  
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  安養山萬福寺
  周参見川に架かる遠見橋を渡り、周参見の集落に入ります。小学校の前を通り、周参見町役場、郵便局が並んでいます。狭い路地を入ると萬福寺です。
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  六地蔵が並んでいます。六地蔵は俗界から聖域に入る入口、あるいは現生から来世に入る入口に祀られています。人が住む迷いの世界、それぞれ地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天を現すと言われています。
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 臨済宗
  日本臨済宗は鎌倉時代から室町時代中期にかけて中国に宋と元の中国禅を受け入れ日本化しました。江戸時代の元和・寛永(1615年-1544年)のころ、明朝の動乱から逃れた多くの中国人、華僑が長崎に渡来し在住。長崎三寺(興福寺、福済寺、崇福寺)が建てられ、多くの明僧も招かれていました。 
 臨済宗と黄檗宗 
  黄檗宗は1654年、隠元隆き により始まりました。当初は臨済正宗や臨済禅宗黄檗派を名乗っていましたが、明治7年(1874)、明治政府教部省が禅宗を臨済、曹洞の二派と定めたため、強引に臨済宗黄檗派に改称させられました。その後、明治9年(1876)、黄檗宗として正式に禅宗として独立することとなりました。教義、修行、儀礼、布教は日本臨済宗とかわらないとされています。  
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# by wakayamakiga | 2018-09-23 23:13 | Ohechi route 大辺路 | Comments(0)

熊野古道歩こう会9月のご案内

台風21号が和歌山県北部を襲い、各地で停電や断水などが続いています。私の家も車庫の壁が飛ばされ、車が使えないほど破損しましたが、身体だけは元気なので、良かったと思っています。被害にあわれた皆さん、頑張って復帰していただきたいです。

KIGAの熊野古道歩こう会、9月のご案内です。
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9月6日の紀伊路ー③伊太祁曽~藤代王子神社への予定は、台風でJRきのくに線が運休のため、延期となりました。

歴史と英語ガイド研修会は9月13日(木)、27日(木)13:30~16:30まで、和歌山市三木町堀詰30番地、BMCで実施します。( 参加費2000円(月2回))

●熊野古道・大辺路ー③
仏坂・白浜町 安居の渡し~周参見へ
【日時】 9月20日(木)AM6:40
【集合】 JR和歌山駅 
【コース予定】JR和歌山駅⇒(レンタカーで移動します。)⇒安居の渡し⇒桂松跡⇒仏坂の茶屋跡⇒地主神社⇒太子堂⇒周参見王子⇒萬福寺⇒周参見駅(約10,8km。標高差20m)
【参加費】500円+交通費実費(レンタカー代金+高速料を参加者で分担します)
【持ち物】 お弁当、飲料、タオル、雨具、杖、着替えのシャツ、保険証など。
※貸切バス、保険加入は申込が25名以上の場合とさせていただきます。お早い目に申込ください。
【連絡先】 KIGA 熊野・高野国際語り部の会
 ℡・fax 073-478-2711
 携帯電話 090-2062-7778
 e-mail kiga@silk.plala.or.jp




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# by wakayamakiga | 2018-09-11 21:24 | Information/ウオーク案内 | Comments(0)

KIGA 熊野・高野国際語り部の会のブログです


by 熊野小僧(kumano kozo)
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