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Osaka Road-1 From Kubotsu Oji to Shitennoji /大阪の道ー1窪津王子~四天王寺

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 5月16日(木)、熊野古道の最初の王子社である窪津王子から歩きました。大阪は雲一つ無い良いお天気です。午前8時30分。集合の天満橋駅で。
 May 16th(Thursday),I walked from Kubotsu Oji, Osaka, the first Oji of Kumano Kodo. There is no cloud in the sky. At 8:30 am, the members of KIGA gathered at Tenmabashi Station.


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 古代、上皇や女院たちは京都から船で大川(旧淀川)を下り、昔の渡辺橋近くの「窪津」(窪んだ船着き場)に着きました。船着き場は八軒家浜と呼ばれていました。
 In ancient times, the retired emperors and woman's ins came down by boat from Kyoto, and arrived at Kubotsu Oji near Wakanabe Bridge. The landing site was called Hakenya Hama.


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 京阪天満橋駅の南側、永田屋昆布本店の前に標識があります。
 On the south side of Tenmabashi Station, in front of the Nagataya Konbu Main Store, you can see a sign of the Hakenya ruins.


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 「八軒家船着場の跡」の標識は昭和40年の建立。大阪市東区史跡です。
淀川を船に乗ってここまで来るのが熊野詣での最も一般的な旅でした。ここに8軒の船宿があったのでこの名前が付けられました。巡礼者はここから歩きました。
The riding boat from Kyoto to here on Yodo river was the most popular pilgrimage to Kumano. There were eight boat houses here so people called "Hakkenya ( eight houses) funatsukiba( harbor)". People walked from here by their feet. (by Yasuo H.)

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 熊野街道の標識があります。
 Walking about few meters from Hakenya, there is a sign boad of Kumano Kaido road.

 上町台地
 大阪市内の熊野古道は上町台地を通ります。幅約2kmの上町台地は、北端の大阪城付近で標高20m、阿倍野付近で15m、住吉付近で10m前後となっています。この周辺は市内で最も古くから開けた所です。天王寺公園内の茶臼山古墳、阿倍野区の金塚、播磨塚、松虫塚などの古墳が多く、古代には孝徳天皇の時代、難波宮が築かれていました。中世には蓮如上人の石山本願寺がおかれ、近世のはじめには大阪城が築かれました。
 渡辺から生玉、天王寺をへて夕日が丘まで続く上町台地の西側の海岸線は、万葉時代には「大江の岸」と称していました。

 Uemachi Daichi (plateau)
 Kumano Kodo in Osaka City passed on the Uemachi Daichi(plateau),about 2 km wide, 20m above sea level near Osaka Castle at the north end, 15 m near Abeno, and around 10 m near Sumiyashi. This area is the oldest place in the city where people lived.
 There are many old tombs such as Chausuyama Kohun in the Tennoji park, Kanezuka in Obeno, Harima-zuka, matsumushi-zuka. And in ancient times the Naniwa Palace was built during the time of Emperor Kotoku.
 In the middle Ages, there was the Ishiyama Hongan-ji Temple of the Rennyo Shonin, the founder of Ikko sect of Buddhism, and the beginning of modern era the Osaka Castle was built by Toyotomi Hideyoshi.
 The coastline on the west side of the Uemachi Plateau, which goes from watanabe to Ikutama, Tennoji and continues to Yuhiga-oka was called " shore of the Oe" in the Mannyo period.


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 緒方洪庵旧宅と釣鐘屋敷の標識

 三つの熊野古道
 大阪、上町台地を通る熊野古道は3つのルートがあります。その一つが谷町筋です。谷のように低い海岸線沿いの道で、摂津の国の東成と西成両郡の境界線でした。
 二つめの道は御祓筋。谷町筋の西側の道です。江戸時代、大阪城内で使った古道具や古着を「お払い」箱にする古道具屋が軒を並べていたという説があります。今でいうリフォームですね。
 三つめの道は骨董屋筋と呼ばれています。御祓筋の西側、松屋町筋の東側を通る道です。松屋町筋は古代には海岸線であったので、この道は上町台地西側から海を見下ろす道でした。
 
 Three Kumano Kodo
 There were three routes of Kumano Kodo road, which passed through the Uemachi Plateau in Osaka. One of them was tanimachi Suji (line). It was a road along a low coastline like a valley, and it was the border between the eastern and western areas of Settsuno Kuni.
 Second road was the Oharai Suji. It is a road on the west side of Tanimachi line. During the Edo period, it is said that many furniture shops lined up and seilled old tools and clothes that used in Osaka Castle.
 The third road was called Kottoya Suji. This road passing the east line of Matsuyamachi Suji.
 Matsuyamachi Suji was also a coast line in ancient times. People were able to look down on the sea from the west side of Uemachi Daichi. (by Michi.A)
 

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  「座間神社行宮」の碑(大阪市東区石(こく)町2丁目)があります。


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 座間神社行宮内に窪津王子があります。

ここのすぐ西に1300年前には港がありました。神功皇后は朝鮮半島での戦争からここにもどりました。伝説ではここの石に腰をかけたので「神功の腰掛け石」と呼ばれるようになりました。また、この神社には窪津王子があり、ここは低い土地だったので「窪津」王子と呼ばれるようになりました。熊野古道の最初の王子社です。
  There was a harbor just west side of this shrine 1300 years ago. The Empress Jingu ( she is said that died in 269) returned to this harbor from the war in Korea. The legend says she sat down on the stone here、 which is called " the Jingu's resting stone". Also here is "Kubotsu Oji" in this shrine on the low terrain so this area was called "Kubotsu". This is the first Oji shrine in Kumano Kodo. (by Yasuo H.)
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 1300年前の大阪北部の地図(大阪市 2014)。青丸が港、赤丸が坐間神社です。
 A map of Northern Osaka 1300 years ago ( by Osaka City 2014). A blue circle is the harbor and red circle is Ikasuri shrine.

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 神功皇后の鎮座石



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 私たちは骨董屋筋を南に向かって歩きました。


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 地蔵菩薩と不動明王を祀る社がありました。


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 お地蔵さま


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 中大江公園にやってきました。


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 緑の大きな木


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 大きな木に白い花が咲いていました。


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 阪神高速道路の下の高架道を歩いて、道路を渡ります。


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 公園があり、中に祠がありました。


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 水呑地蔵が祀られています。


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 南大上公園です。

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 狸大明神

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 坂口王子(伝承地)

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 高津原橋。橋といっても今は川はありません。


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 右折して高架の上を歩きます。榎大明神を探しています。

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 安堂寺町二丁目。手書きの案内板がありました。

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 榎木大明神です。

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 説明板があります。榎木大明神は榎木ではなく槐(えんじゅ)でした。 

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 剪定をしたあとのようで、木の葉はあまり茂っていませんが。

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 熊野街道の標識があります。標識ー1

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 標識ー2

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 安堂寺町1丁目。森田写真館の横の狭い道に入ります。

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 熊野街道・標識ー3

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 空堀どーり商店街へ来ました。

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 二宮金次郎の像堂が立っていました。

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 ここは桃谷小学校跡

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 上町台地の名のとおり、坂が多く、石段の道が多いです。

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 熊野街道の標識ー4

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 標識ー5

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 ふりむけば大きな木が。楠大明神です。

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  路地の間を入りました。

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  家の塀から突き出しています。

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  お寺が並ぶ道を通り、西に向かって歩きます。公園が見えてきました。

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 高津宮に着きました。

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 郡戸王子

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 高津宮

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 高津宮から谷町筋に戻り、南へ歩きます。谷町9丁目に来ました。

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 生国魂(いくたま)神社へ。境内摂社の住吉神社。

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 同じく天満宮

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 生国魂神社本殿

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 上野王子
 車道を横切り、東へ。上宮学園の南東のマンション「上の宮ハイツ」の入り口に「上宮之碑」があります。ここが上野王子こと上之宮神社の有った場所です。マンションの正面のには俳句・絵画に業績を残した生田花朝の句碑が建っており、生田家は代々の神官であったことが記されています。神社自体は明治時代に大江神社に合祀されてしまいました。
 Ueno Oji
 There is a stone monumrnt inscribed "Uemiya-no-Hi" in front of "Ue-no-miya-Heights" condomium next to Uemiya School in south east, which tells that here used be Ueno-Oji, Ue-no-miya Shurine. At another place, a memorial stone of Kacyou Ikuta, famous for Haiku and painting, we can find. The inscription says that Ikuta had came from a long line of shinto priest. The Ue-no-miya Shurine was integrated with Ooe Shirine in Meiji era.

 【우에노미야】학원의 남동, 맨션 「우에노미야 하이츠」의 입구에 「우에노미야 비석」이 있습니다. 여기가 【우에노 오지】 것 【우에노미야】신사가 있었던 장소입니다. 맨션의 정면에는 하이쿠(짧은 시구)·회화에 실적을 남긴 【이쿠타 가초】의 시비가 세워지고 있어, 【이쿠타】가는 대대로의 신관이었던 것이 적혀 있습니다. 그 신사는 메이지 시대에 【오오에】 신사에 합동제사되어버렸습니다.

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 再び谷町筋に戻り、郵便局の前を通ります。

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 さらに夕陽丘短期大学の前を通ります。

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 道路の左側にお地蔵さまの祠がありました。

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 天王寺区下寺町二丁目

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 沿道のお寺

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 口縄坂の標識

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 日限地蔵、子安地蔵の標識

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 大江神社の鳥居と石段

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 大江神社本殿

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 大江神社境内から通天閣が見えます。


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 大江神社の東隣に鎮座する「愛染堂」の境内に「愛染かつら」の木。

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 愛染堂境内にある「腰痛封じの木」

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 こちらは「哲学の椅子の木」

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 ここに座ると頭がよくなるかもしれません。

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 四天王寺に着きました。

 日本書紀によると、四天王寺は聖徳太子により593年から建設が始まったと記載されています。当時仏教推進派の聖徳太子と蘇我氏が排仏派の物部氏との戦いで勝利した後に、建立されたと記載されています。聖徳太子はこの仏教寺院と共に、施薬院、療病院、悲田院等の社会福祉システムを導入し、寺院建設に必要な宮大工の人と技術を朝鮮(百済)から招き四天王寺の建設に充てたと云われています。その時の宮大工組織である金剛組は、578年に創業し現在まで事業を継続している、世界最古の企業であると云われています(内閣府の2009年調査記録)

 According to Nihon-Shoki (Japanese history record), Shitennou-ji temple was originated from 593A.D. by the order of Shotoku-taishi (Prince). Soga-clan including Shotoku-taishi who was promoting Buddhism had defeated Mononobe-clan who was against introducing Buddhism. After the end of this political war, the temple construction was started.
 Shotoku-taishi had introduced various public welfare facilities including temple, hospital, orphanage. He also invited the technicians and technology from Kudara kingdom (Korea) for building Shitennou-ji. The company of technicians named Kongo-gumi originated from 578A.D. and still continues its activity of building wood structure temples, so it is regarded as the oldest enterprise in the world. (Japanese government research report 2009) (By H.S.)





# by wakayamakiga | 2019-05-18 19:26 | Osaka Route/大阪の道 | Comments(0)

Osaka Route -1-2 Shitennoji /熊野古道・大阪の道-1-2 四天王寺

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  5月16日(木)、KIGAのメンバー13名が熊野古道・大阪の道を歩きました。
 ここは四天王寺です。熊野古道の上町台地の南に位置しています。


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 熊野古道を歩いた人は北の門から入ります。門の右側に沢山の地蔵尊が並んでいます。これは融通地蔵尊です。


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 大坂清水の井戸は、もと一心寺の門前西にあったのを、明治末に電車道の開通のために、融通地蔵と一緒にこの四天王寺に移されたそうです。

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 標識があります。明治40年代、大溝直心尼の発願により、近くに祀られていた地蔵尊を集めてこの山に合祀したとの記載があります。この山には約150体の地蔵尊が祀られているそうです。

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  元三(げんざん)太子堂は、平安時代、天台宗の開祖、伝教太子最澄の創建と伝わっています。現在の建物は、大阪冬の陣に焼失したのを元和元年(1623)徳川秀忠が椎寺普門院として再建したものです。再建当初、堂内には伝教大師と普賢菩薩が安置されていましたが、のちに元三大師を本尊として祀るようになり元三大師堂とよばれるようになりました。元三大師とは平安時代(913生まれ)の僧、良源のことで、比叡山中興の祖と呼ばれる人です。


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 沢山の供養塔があります。安政地震津波の碑です。安政元年(1854)11月4日、5日の二日間に相次いで発生した安政東海地震と同南海地震による犠牲者を供養し、津波災害の状況を後世に伝え警告するために、町人一同によってその翌年秋、4四天王寺に石碑が建立されました。(説明板より)

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 広い境内に沢山のお堂が並んでいます。


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 三面大黒堂。もとは南大門の西、万灯院の後ろ、梅園の中にあったのを現在の地に移されました。
 後年、付設された大黒堂の拝殿には、大根を描いた灯篭が掛かっています。大根は大黒天の使者、鼠の好物だから、大黒点が飲食を司る神様であるからとも伝えられています。
 大黒天はヒンドー経のシバア神の化身であるマハーカーラ(摩訶迦羅天)が元となりできた密教の神であり、古代インドでは荒々しい戦神でした。向かって正面に大黒天、右面に弁財天、左面に毘沙門天の三面を持ち、三面大黒天と呼ばれます。

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# by wakayamakiga | 2019-05-18 19:21 | Osaka Route/大阪の道 | Comments(0)

Invitation of Kumanokodo walking from May 熊野古道歩こう会5月~6月のご案内

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  令和元年の幕あけです。KIGA(Kumano & Koya International Guide Association)では、熊野古道や高野山など、歴史の道を訪ねて歩きます。 
 参加者募集中。四季折々に変わる日本の古道の風景を楽しみませんか?(要予約)
 教室での勉強会も実施しています。第2、第4火曜日午後1時30分~4時30分まで、和歌山市三木町DMC英会話で。日本語の歴史(東担当)と英語のネイティブ講師が担当します。
 次回は5月23日、6月13日、27日に実施します。
 5月16日のウオークのご案内です。

 The year of Reiwa era has begun. Organized by KIGA(Kumano & Koya International Guide Association), we will visit the historical trail such as Kumano Kodo and Koyasan.
 We are looking for participants. Would you like to enjoy scenery of Japanese road that shows shifting seasons? (reservations are required)
 We also hold study sessions in the classroom. 2nd and 4th Thursday, 1:30 pm-4:30 pm, at Wakayama city Mikimachi BMC English Conversation School. The Japanese histry by Michi Azuma and the native English teacher teach. The next time will be hald on May 23ed, June 13th and 27th.

 It is guidance of walkig on May 16th.

【熊野古道・大阪の道-1】窪津王子~四天王寺まで
:日 時 5月16日(木) 8:50 am (or JR和歌山駅6:30am)
:集 合 大阪・地下鉄谷町線/天満橋駅前(JR和歌山駅6:41発快速京橋行きが便利です。➡7:51天王寺着予定➡地下鉄谷町線へ。8:16発都島行き➡8:25天満橋着予定)
【コース予定】 八軒屋船着き場跡➡窪津王子➡榎木大明神➡郡津戸王子➡生国魂神社➡上野王子址➡四天王寺➡超願寺➡庚申堂➡おはぐろ地蔵➡天王寺(約7km。標高差なし)

 【Kumano Kodo, Osaka 's Road-1】From Kubotsu Oji to Shitennoji
:The date and time / May 16th 8:50 am (or JR wakayama Station 6:30 am)
:Meeting place/ Osaka, subway Tanimachi Line, Tenmabashi Ekimae (It is convenient if you get on the expressway to Kyobashi from JR Wakayama Station at 6:41 ➡ you will arrive to Tennoji at 7:51 ➡ to Subway Tanimachi Line. 8:16 To Miyakojima ➡ 8:25 To Tanmabashi)
【Course plan】Hachikenya boat landing site ➡ Kubotsu Oji ➡ Enoki Daimyojin ➡ Kozudo Oji ➡ Ikukunitama Shrine ➡ Ueno Oji ruins ➡ Shitennoji ➡ Choganji ➡ Koshin Tsuka ➡ Ohaguro Jizo ➡ Tnnouji station (approx.7km, No differnce in elevation)

☆参加費 500円(資料代など)
☆持ち物 飲料、タオルなど。歩きやすい靴と服装でご参加下さい。
※連絡・申込は e-mail kiga@silk.plala.or.jp (東まで)

☆Participation fee 500 yen
☆Please bring bottle of drinks,a hat, towels,etc. and Join us with comfortable shoes and clothes.
※ Contact and application / e-mail kiga@silk.plala.or.jp (to Azuma)



# by wakayamakiga | 2019-05-13 20:06 | Information/ウオーク案内 | Comments(0)

Kii Route-3-2 Fujishiro Oji Shrine 藤白王子神社

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 藤白神社。斉明天皇の時代の創建と伝わっています。
 令和元年5月2日、KIGAのメンバー11人が伊太祈曽駅から藤白神社まで歩きました。
 Fujishiro Shrine / Fujishiro Oji Shrine
 This shrine is transmitted as the founding of Empress Saimei(594-661), who became the Empress twice. The first was as Empress Kogyoku and second was as Empress Saimei.
 On May 2nd, 11members of KIGA Kumano Kodo arukou-kai walked from Idakiso Shrine to this Fujishiro Shrine.

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 藤代神社の隣に藤白王子権現社があります。神社の境内に仏式のお堂が建っているのは、神仏習合の時代の様式です。
 You can see Fujishiro Gongen Do next to Fujishiro Shrine. A Buddhist temple is built in this shrine ground. This is the style of Shinto-Buddha period.
 
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 藤白神社の権現堂 
 藤白神社の権現堂には12世紀作の3体の仏像が安置されています。千手観音像(向かって左)、阿弥陀如来像(中央)、薬師如来像(右)で、それぞれ熊野那智大社、本宮大社、速玉大社の神が仏像の姿で現れたものとされています。いずれも県指定文化財。熊野古道沿いでこの三尊が一箇所に揃っているのはここだけです。
 
 明治時代に廃仏毀釈の嵐が日本中を吹き荒れた時期、このお堂の仏像群は神社本殿内に隠され、破壊を免れたと伝えられています。
 藤白神社は80以上あるとされる王子社(熊野詣での一行が道中無事を祈願した場所)の中でも特別とされる五大王子の一つです。宗教的儀式だけでなく、歌会、奉納相撲、神楽、獅子舞等が催されました。(M.O)
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 千手観音像(左端) Senjyu Kannon statue(left side)

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 阿弥陀如来像(中央)Amida Nyorai statue(center)
 
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 薬師如来像(右端)Yakishi Nyorai statue (Right side)

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 藤白王子の本地仏は11面観音です。
 Honchi Buddha of Fujishiro Oji is 11faces Kannon Buddha.


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 厄除け、交通安全の仏さま。
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 毘沙門天像 Bisyamon-ten Buddha statue

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 熊野の北の入口を守り福徳をつかさどる武神、と記載されています。

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 孝徳天皇の皇子、有間皇子の絵が奉納されていました。海南市出身の雑賀紀光氏の寄贈です。
 斉明4年(658)、有間皇子は謀叛の罪をきせられ藤代坂で絞首せられました。藤代神社の境内に有間皇子神社が建てられ、皇子の命日の11月11日に「有間皇子まつり」が行われています。
 A painting of Arima-no Miko who was a son of Empere Kotoku has dadicated. It was donated by Mr. Kiko Saika from Kainan City.
 4 years in Saimei era (658), Arima-no Miko was killed in Fujishiro pass by decree from Nakano-oe no Oji who is a son of Saimei, and Arima's cousin.

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  鈴木氏の祖先、饒速日命(にぎはやひのみこと)の像。同じく雑賀紀光氏の絵です。
 A picture of Nigihayahi-no Mikoto, it is said that he is ancestor of Suzuki family. It is also a picture has drawn by Mr. Kiko Saika.


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 熊野信仰を全国に広めた鈴木氏。鈴木三郎家重の肖像画。やはり雑賀紀光氏の寄贈によるもの。
 A portrait of Mr.Saburo Suzuki, a representative of Suzuki Family who spread Kumano faith throuh out all of Japan. This is also drown and donated by Mr.Kiko Saika.

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 神社の境内、中ほどの石塔があります。
 There are stone towers in the midle of the shrine ground.

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 平安時代、宇多・花山・白河三上皇が熊野御幸をされたことを記念して建てられたそうです。
 It was built to commemorate that three emperors who were Uda, Kazan,SHirakawa had come to this shrine in Heian peried.

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 熊野懐紙に後鳥羽院宸筆の歌が残っています。
 Kumano Kaishi remain with some poems by Gotoba-in who was a retired Emperor.

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 藤白神社に大きなクスノキが数本あり、子供を守る神としての信仰があります。楠、熊、藤の名をつけた子供は丈夫に育つと信じられ、南方熊楠もこの社の宮司さんから命名され、丈夫になったそうです。
 There are several large camphor trees in Fijishiro Shrine, and there is a faith as a god protecting children. It is believed that children named Kusu(oak), Kuma(bear), and Fuji(wisteria) will grew strong. Kumagusu Minakata had named by this shrine priest and he became strong.


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 藤白神社をあとにし、海南駅へ。途中に大鳥居跡の石柱が立っていました。
 We left from Fijishiro Shrine and went to Kainan stition. A stone pillar of the Great Torii ruins stood on the way.


# by wakayamakiga | 2019-05-04 21:19 | Kii route /紀伊路 | Comments(0)

Kii Route-3 From Idakiso to Fujisiro Shrine 伊太祁曽神社~藤代神社へ

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 令和の時代が始まりました。2日、紀伊路の伊太祈曽から藤代神社まで、11名が歩きました。今日も快晴です。
 The era of Reiwa has begun. On May 2nd in Reiwa, 11 members of KIGA walked from Idakiso Shrine to Fujishiro Shrine in Kumano Kodo road. It was fine weather this day.


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 午前8時30分。伊太祈曽駅に集合、まずは伊太祁曽神社へ。ツツジの花が赤い欄干に似合っていました。
 8:30am. We gathered at Itakiso station, first we headed to Idakido Shrine. The azalea flowers ware in blooming, and they looked good on the red bridge.

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 鳥居をくぐり正面から参拝しましょう。
 Let's worship from the front through the Torii gate.


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 伊太祈曽神社。木の神、五十猛命をお祀りしています。
 It is Idakiso Shrine. The tree god Itakeru-no-mikoto and his two sisters are enshrined here.

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 伊太祁曽神社をあとに、口須佐へ。古道の右手に六地蔵尊の祠があります。
 We left the Idakiso Shrine and went to Kuchisusa. There is a small shrine of Roku-jizo Buddha on the right of the road.

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 一つの石に二体の地蔵さまが。カップルでしょうか?
 Two jizos are in one stone. Are you a couple?

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 蓮の花が咲き始めています。
 lotus flowers were beginning to bloom.

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 沿道の地蔵尊。
 The jizo statues on roadside.

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 須佐神社への石段が目に入りました。でも石段の上には何も遺蹟はありません。
 We looked the stone stairs to Susa Shrine. But on the top of stairs there is no remains.


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 吉礼へ向かう分岐点にも地蔵尊が祀られています。ここは地元の人の献花が絶えません。
 Jiso statues are also enshrined at the turning pont toward Kire. Locals always provide flowers here.
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 奈久智王子の標識がありました。
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 田園風景を眺めながら歩き、奥須佐に至る。古道の右側に「奈久智王子社跡」の標識板がありました。

 Walking through the fine country-side, we came to Oku-Susa. We found a sign board of“Nakuchi-Oji on the right side of the Kumano road.



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 隣の小道に入いると、道路から外れて蜜柑畑の中の20メートルの奥まったところに、案内版と高さ1.5メートルほどの大きめの外祠の中に、高さ40センチほどの小さな祠が納められていました。これらは整備され、新しかった。祠の周りに小さく素朴な宝篋印塔が投げ捨てられたかのように放置されていたが、かえって古道のひなびた味わいを感じさせていました。  

 Entering into a small trail from the road twenty meters, a guide board and a one-and-a-half meter high shrine-shaped shed are in the mandarin field. A small shrine about fifty centimeter high was placed in the shed. This cite is newly renovated. A few of miniature Buddhism-towers looked like abandoned on the corner, which gave an attractive feeling of rundown.


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  藤原定家の記録や紀伊国名所図会などにより、ここが奈久智王子の所在地とされているが、案内板の解説には、「紀伊続風土記」で示された別の奈久智王子とされる場所があり、1.5キロメートルほど南、かって那口郷と呼ばれた薬勝寺村にあると紹介しています。
 

 They say this is the place of Nakuchi Oji because it was written by an old minstrel, Teika Fujiwara, on his diary or due to a nineteenth century tourist book. However the guidance on the board gives an interesting information that another possible Nakuchi Oji is located on 1.5 kilometer south away on Yakusho-ji, where is used to be called Nakuchi village recorded on an old public report.


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 さらに南へ、民家の中の狭い路地に入ります。白い花が咲き乱れています。



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 古道は民家の間に入ります。路地の突き当りを右折しましょう。

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 熊野古道の標識があります。

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 前方に阪和高速道を見て、ガードの手前、左側に祠があります。中に地蔵尊。


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 高速道路のガードの下を潜ると、前方に鳥居が見えています。

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 武内神社です。
This is Takeuchi shine enshrining Takeuchi Sukune.

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 武内宿祢誕生の井戸。宿祢が生まれた時、身体を洗ったと伝わっています。
武内宿祢は5代の天皇に仕えた大臣(2~4世紀頃)と古事記に記載されており、その長寿(300歳?たぶん同一名で子孫が大臣職を継承していたと思われる)と出所から地元での信仰が篤いようです。 一説には(門脇禎二著 葛城と古代国家)、武内宿祢は、木国造祖の血をひく当時勢力のあった葛城氏の子孫と云われています。

  There is an old well in Takeuchi shrine, which local people believe Takeuchi Sukune was born here and bathed.
According to Kojiki (Japanese Mythology), Takeuchi Sukune had served the Emperor during 2
4th Century for more
than 200 years? (probably his family served as a powerful minister with the same surname). So local people pray here
wishing their long lives. According to the historical commentary by Mr.Kadowaki, Takeuchi Sukune’s ancestor was
Kino-Kunino-Miyatsuko (the original clan governed this area) and belonged to the powerful clan of Katsuragi (governed
the west part of Nara area before 5th Century). (By H.S.)


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 さらに南へ向かいます。こんもりした森があります。

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 武内神社を後にして、右側に二つの溜池を見つつ進むと、古道の左側にこんもりとした森を備えた小さな丘が見えてきます。

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 石階段を上ると作りの素朴な神明鳥居が有り、その奥に樹齢五百年はあろうという巨木とともに堅木屋根の住吉作りの古い祠が建っている。これがもう一つの「奈久智王子」です。案内板はありません。

 行ってみると、古道沿いにあり、森に覆われた小高い丘が目印となっていて見つけやすいこと、さらに霊的な厳かさを感じさせることといった理由により、よりこちらが本当らしくは感じます。

 しかし、平緒王子から奥須佐の王子までが1.6キロ、奥須佐から薬勝寺の王子までが1.8キロ、薬勝寺から松阪王子までが1.8キロ。他王子社からの距離が、どちらの側も片側に寄っており、判断を下すのは難しい。

 Left from Takenouchi Shrine, we went along two reservoirs on the right hand. We found a small hill covered with swelled woods. Went up the steps, there is a Shinto Tri-i gate on the top which is designed in Shin-mei style simple and no-painted. An old shrine designed of Sumiyoshi style is placed surrounded with tall trees looked five hundred years old. This is the other Nakuchi Oji. No guidance board is there.
 It gave me a plausible impression. It is easy to find out located on the Kumano road with the woody hill and the spiritual mood is on the place.
 However it is hard to decide, considering with the distance below, each of them is too closer to the next shrine than another.
1.6 kilometer: Hirao Oji to Oku-Susa Shrine
1.6 kilometer: Oku-Susa Shrine to Yakusyo-ji Shrine
1.8 kilometer: Yakusyo-ji Shrine to Matsusaka Oji. (By M.F)

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 石の階段

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 鳥居が見えています。


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 入口に大きな木。

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 祠があり、奥のほう(東側)に大きな木。樹齢500年くらい?

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 祠の西側に大きな木。


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 祠の南面にも大きな木が立っています。


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 少し西に歩くと、石段があり八王子神社が鎮座しています。


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 八王子神社の隣に薬王寺があります。


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 薬王寺境内の石碑


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 石碑の一つです。


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 薬王寺境内の大きな木。


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 古道に戻り、さらに南へ。道路の分岐点に立つ地蔵尊。


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 狭い路地に入りしばらく歩くと、右手に四つ石地蔵が祀られています。


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 民家の中に白い花が咲いていました。


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 雲一つない青空の下を歩きました。


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 南中村バス停。1日4回しか通りません。


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 遠くに室山古墳が見えています。


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 右手に森があります。古墳!・・・ではないようです。


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 光明寺。

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 古道は直進していますが、車道へでました。「洗足橋」です。神功皇后がここで足を洗われたとの伝説が伝わっています。


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 お地蔵さま

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 木の標識が立っています。「小栗判官伝説地・・・」下の方の文字は判読できません。

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 松阪王子跡です。奥のほうに庚申塚があります。

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 石畳道。綺麗に整備されています。

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 蜘蛛池。
 この池の正しい名前は、小野坂池又は、汐見池と呼ばれています。 伝説によると神武天皇がここで名草戸畔の軍勢と戦い、土蜘蛛を討ち取ったという話しが伝わります。 土蜘蛛とは、天皇に敵対した地元の部族なのでしょう。 新しい征服者が現れ、抵抗した人達は、クモ、クマ、クス、鬼などの名前で呼ばれました。(折口 信夫説) 潮見峠の古道は、わずかに石畳の小道が残っています。

 The correct name of this pond is called Onosaka pond or Shiomi pond. According to the legend, it’s said that the
Emperor Jimmu fought against an army of woman’s military commander Nagusa-tobe here and he defeated a ground
spider, which means discriminatory expression to the local tribe who fought against the Emperor. People who resisted to the new conqueror were called such as Kumo(spider) Kuma, kusu or Oni. (According to Mr. Nobuo Origuchi) Short
ancient path with stone pavement remains around Shiomi mountain pass. (ByT.S.)


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 徳本上人名号碑。
 池の西端に「南無阿弥陀仏」と彫られた徳本上人の名号石があります。 彼は、日高出身で江戸時代後期の有名な念仏行者です。 この石碑は、旅人の安全を願う為に,ここに建てられました。 彼の石碑は、熊野古道のあちこちに見られます。

 Tokuhon-shonin’s engraved stone is placed at the west end of the pond called Shiomi pond. Six letters of Na-mu-a-mi-da-butsu are engraved on a stone monument. He is from Hidaka area and a famous ascetic buddhist at the last
part of Edo period. This monument was built for wishing travelers a safe trip. His monument can be seen at various
places at Kumano ancient routes. (By T.S.)


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 蜘蛛池を過ぎると海が見えてきます。汐見峠です。安政の大地震の時に津波で逃げ場を失った時、汐見峠のお地蔵さまが人々を呼びあげて助けたと伝わっています。

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 峠を降りる道沿いの木。葉っぱに実がついている?
 
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 日方川に沿って大野中に向かって歩きます。春日神社への入口です。
 古代、この近くの民家の池の傍に「松代王子」がありました。

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 中世には大野城の周辺に支城があり、こは春日山城址でした。


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 登り口に六地蔵尊。

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 松代王子

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 松代王子から春日神社へ尾根道を通って歩きます。

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 前方に春日神社の森が見えてきました。

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 大野中の景観
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 春日神社へ参詣します。

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 大塔宮が御逗留の石碑。

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 春日神社

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 春日神社登り口の鳥居。長い石段があります。

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 春日神社をあとにし、海南橋を渡って旧野上鉄道の跡地を歩きました。セブンイレブンを左にみて左折。県道を渡って路地に入ります。ここは菩提王王子です。




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 さらに山に向かって歩きます。標識を見て右折しましょう。

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 古道の左手に「小中の地蔵さん」があり、入口に六地蔵があります。

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 釈迦如来、小中地蔵。

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 ご本尊。

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 社の中の地蔵尊。

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 古道は小中の地蔵から西へ。海に向かっています。左手に立派な石段が見えてきました。この寺は地元では「日限さん」と言われています。

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 石段の傍に、小さな社があり、中にお地蔵さま。

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 日限さんの境内

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 中世、大野城は紀伊国の政治の中心地でした。日限地蔵境内にある鈴木三郎家重(向かって右)と、弟の亀井六郎重清の墓とされる石塔。
 境内後方の石塔は山名義理の供養塔と伝わっています。

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 境内には沢山の地蔵尊が祀られています。

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 日限さんの裏山から墓地をぬけると、眼下に海南市の景観が広がっています。

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 足元に石仏を見ながら森の中に入ります。ここから熊野古道に続いています。


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 祓戸王子 Haraido Oji shrine

 この王子は1909年に藤白神社に移されて合祀されました。「祓戸」の意味は藤白神社に入る前に不浄を払うという意味です。もうひとつ本宮大社の手前に祓戸の名前がある王子がありますが、同じ意味です。また祓戸王子は熊野古道沿いの平地にあったとも言われます。
 This Oji was moved to Fujishiro shrine in 1909 and and assembled there.
"Haraido" means removing impurity before visit Fujishiro shrine. There is another one oji named "Haraido" near Hongu grand shrine. It has same meaning of this one. It is also said that original Haraido oji was at the low land beside Kumano Kodo.( by Yasuo H.)


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 木漏れ陽がそそぐ古道らしい道です。

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 四国八十八か所巡りの石仏がならんでいます。

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 破線が熊野古道ですが実線に沿って歩きました
 Kumano Kodo is dashed line, but we walked along the solid line.

  山道に沿ってたくさんの石仏が並んでいます。四国の88カ所巡礼を意味します。160以上の石仏がありますが、番号の付け方は下の図のように系統だっていません。
 There are many Buddha stone statues along the mountain road. They means 88 pilgrimage destinations in Shikoku but there are more than 160 statues and their numbers are not systematic as shown below.( by Yasuo H.)

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仏像の場所。上の地図の点Aから点Iまで。
The Buddha statues distribution points A to I on the upper map.


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 峠を降りてきました。

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 民家の並ぶ道を歩いて藤白神社へ向かいます。ここは小栗街道とも呼ばれています。
 
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 鈴木屋敷。全国鈴木性のルーツです。
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 藤白神社からさほど遠くない場所に鈴木屋敷と呼ばれる古びた建物があります。ここは日本に200万人いるといわれている鈴木姓の発祥の地とされています。現存する屋敷(修復中)は、和釘(鍛冶屋が鉄を成形して作った四角い断面を持つ釘)が使用されていることから、江戸時代後期から明治時代初期にかけて建てられたものと専門家は推測しています。

  Within walking distance from Fujishiro Shrine, there is an old Japanese-style house known as Suzuki Yashiki (Suzuki Mansion .) The house, currently under repair, is believed to be the place Japanese people whose surname is Suzuki have originated. Suzuki is one of the most common names in Japan. The approximately 2 million Suzukis live in Japan.
 The existing building has degraded with age and been damaged by typhoons. Experts estimate the house was built between late Edo period and early Meij period (around 19th century),judging from that Japanese-style iron nails (square-cut nails handmaded by blacksmiths) were used to build the house. Those nails were used for constructions until around 1877.
 
 鈴木三郎重家
 紀州藤白鈴木家は歴史に名を残した人物も輩出しています。特に有名なのは代91代当主の鈴木三郎家重です。平安末期に鈴木屋敷に生まれた重家は源義経の忠臣でした。二人は年齢も近く、若い頃に主従の契りを結びました。義経は何度かこの鈴木屋敷を訪れたと伝えられています。重家は弟と共に義経に従い、一ノ谷、屋島、壇ノ浦で戦いました。
 
 義経が兄の源頼朝に謀反の疑いをかけられ奥州に逃亡すると、重家も従いました。30代の頃、重家は病身の母を見舞うために一旦紀州に戻りますが、母の死後再び奥州に向かいます。途中、伊豆で頼朝の家臣に捉えられ、鎌倉に送られます。頼朝から義経との関係を断ち自分の家来になるよう迫られますがこれを断り、再び奥州を目指します。
 この家重と母、及び頼朝とのやりとりが能の古典 ┌鈴木」という作品になり、16―17世紀に演じられた記録が残っています。昨年、同じ鈴木姓を持つシテ方観世流能楽師の鈴木啓吾氏が┌鈴木三郎重家」として東京の国立能楽堂で復曲上演し、今年の11月にも再演が予定されています。

 Suzuki Saburo Ieshige:
 The Suzuki family boasts a number of figures who left their names in history. One of the most prominent descendants is Suzuki Saburo Ieshige, who was the 91st master of the Suzuki family and a loyal retainer of Minamotono Yoshitsune, a renowned hero in battles between the Genji clan and the Heike clan in the 12th century.
  Ieshige and Yoshitsune were in the same generation and they quickly built a relationship of trust after they first met. Yoshitsune sometimes visited  Suzuki Mansion to get together with Ieshige. Ieshige and his younger brother fought well along with Yoshitsune in fierce combats with the Heike clan, including those in Ichinotani, Yashima and Dannoura.
  Despite their legendary victories, Yoshitsune was later suspected of rebellion by his elder brother Minamotono Yoritomo, who was the supreme commander of the Genji clan and founded the samurai-led Kamakura Shogunate.
  Yoshitsune fled to Oshu in the nothern Japan and Ieshige followed him. Ieshige once came back home to meet his sick mother when he was in his thirties and headed for the north again after his mother passed away.
 
 Then, a tragedy hit Ieshige. He was caught by Yoritomo’s retainers in Izu in the central Japan and sent to Kamakura to be interrogated by Yoritomo.

Yoritomo urged Ieshige to break off relationship with Yoshitsune and instead serve to him. Ieshige shrewdly escaped Yoritomo’s order and headed up to the north to rejoin Yoshitsune, his long-time lord.
  The exchange of conversations of Ieshige with his mother as well as with Yoritomo were dramatized into a Noh play titled as “Suzuki” and performed between the 16th and 17th centuries. The play was revived last year at the National Noh Theater in Tokyo by Keigo Suzuki, a Kanze-school Noh player whose last name is also Suzuki. The play is scheduled to be staged again in Tokyo in November this year.
 
Two tombstones attributed to Ieshige and his younger brother Shigekiyo stand in the yard of Higiri-Jizo (Nyoraiji-temple) near Suzuki Mansion.

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 屋敷の西側には曲がりくねった水路のほとりに大きな庭石を配した曲水式庭園跡があります。和歌会を開くことを想定した造りで、このことから、最初の屋敷と庭園が設計されたのは平安時代か遅くとも室町時代とみられています。
 
  On the west side of the house, there is a garden with a meandering brook and corner stones. The style suggests the site was designed to host poetry parties of aristocrats. Given this, experts suppose the original house and garden were layed out between Heian period (794-1135) and Muromachi period (1336-1573). (M.0)

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 曲水式庭園


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 藤白神社に着きました。

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# by wakayamakiga | 2019-05-04 00:12 | Kii route /紀伊路 | Comments(0)

KIGA 熊野・高野国際語り部の会のブログです


by 熊野小僧(kumano kozo)
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