From Hamanomiya-Oji to Daimon in Nachi / 浜の宮王子~大門へ

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February 15th (Thu) seven members of KIGA walked the Kumano-Kodo from Hamanomiya-Oji shrine near Nachi station and Fudaraku-sanji Temple to Nachi Taisha, Seigantoji Temple and Nachi-no-taki.
The weather forecast said that it would rain in the afternoon, but we had a very nice weather and we were able to enjoy a warm and comfortable walk.

 2月15日(木)那智駅の近くの浜の宮王子、補陀落山寺を起点に旧道を歩き、大門坂、那智大社、青岸渡寺、那智の大瀧まで歩きました。KIGAのメンバー7名が一緒です。
 午後から雨という天気予報でしたが、とても良いお天気で、暖かくて、快適なウオークを楽しむことができました。
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We left Wakayama station at 6:50 a.m. and arrived at Nachi station at 9:30. At Nachi station, the cherry blossoms were blooming. I felt spring has came.

 午前6時50分和歌山駅を出て、9時30分に那智駅に到着。那智駅では緋寒桜が咲いていて、一足早い春の気分になりました。


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  那智駅から国道42号線を横切るとすぐ前にこんもりとした森が目に入ります。ここが浜の宮王子です。三所権現宮、あるいは渚宮と呼ばれていましたが、今は熊野三所大神社と称しています。


浜の宮王子と補陀落山寺が、熊野那智大社への熊野古道最後の行程の入口に隣接して建っており、江戸期に建て替えられた古い石の道標古道に交差点に見られます。

   浜の宮王子の祭神は、家津美御子(けつみみこ)大神、夫須美(ふすみ)大神、丹敷戸畔命(にしきとべ・地元の首長)、三狐畔命(みけいりぬ)神武天皇の兄) 等で、8世紀に書かれた日本書紀には神武東征時に、この地で抵抗して亡くなった地元の首長の丹敷戸畔命の記録があります。敗者であっても地神として祀る日本の伝統があります。鳥居と鎮守の森と楠の古木に囲まれた神社が見られます。
 

平安時代の参詣者は、熊野古道の王子の一つである浜の宮王子の海岸で潮垢離をして身体を清めて、熊野那智大社へ参詣しました。
  
   

 Hamanomiya-Oji and Fudarakusan –Temple  


  
    Hamanomiya-Oji and Fudarakusan -Temple locate side by side at the entering point of the final road of Kumano-kodo to Kumano Nachi Grand Shrine. You can find a stone road sign renewed at 18th century at the junction. 
   Hamanomiya-Oji enshrines Ketsumiko-no-kami (Great deity of agriculture), Fusumi-no-kami (Great Mother deity), Nishiki-tobe (The local deity of this area), and Miketsu-kami (Brother deity of Jinmu) and other deitys.



It is written in Nihon-shoki(the national history book compiled at 8th century) that Nishiki-tobe (The leader of the local clan in this Nachi area) fought to death when Jimnu-deity invaded this area from the ocean..

 


This is atypical example of common tradition of Japan, that even the defeated side is enshrined as the local god. You can find the shrine gate (Torii) in the surrounding forest with a very old camphor tree.
  The pilgrimage around 12th century used to bath in the ocean at Hamanomiya-Oji (one of the 99 Oji stations on Kumano kodo) to purify themselves before entering to  



       




丹敷戸畔(にしきとべ)


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  浜の宮神社の右手に地主神として丹敷戸畔を祀っています。  『日本書記』の神話遍によれば、神武天皇がこの地に来られた時、土地の豪族(女王?)丹敷戸畔が刃向ったので殺したとの記載があります。 そのあと、大熊が現れ神武とその一行はその毒気により倒れてしまいます。夜、神倉山のタカクラジ命の夢に天照大神が表れて、フツノミタマという劔をさずけるというお告げがありました。タカクラジは翌朝、その劔をもって神武を助けに行きます。そうして神武とその軍兵たちは元気を取り戻します。そこへ八咫烏が現れ、神武たちを守り奈良へ導く、というお話です。

NIshiki-tobe was enshrined as a deity of local clan in this area. you can see a deity statue at the right side of Hamanomiya's main deity shrine.

It is written in "Nihonshoki " (the record of Japanese history) that when emperor Jinmu came to here, Nishiki-tobe attacked him , so Jinmu killed Nishiki-tobe in defense.
After that time, Emperor Jinmu collapsed due to the venom of Okuma(a great bear) and lost consciousness. Takakuraji-no-mikoto lived in Kamikura-san(mountain) nearby, At night, Amaterasu-Omikami appeared in the dream of Takakuraji, and she said "I will give you a sword, bring it and help Jinmu". The next morning Takakuraji found a sword and went to aid Jinmu.
Emperor-Jimmu and his soldiers awakened. At that time, it was informed that the Yatagarasu (a big crow) appeared, and led Jinmu to the Nara Basin.


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本殿の左手に祀られているのは三狐神です。ミケイリヌですね。食物の神と言われています。 
Mikeirinu-no-mikoto is enshrined on the left of Hamanomiya-Oji's main deity.

Mikeirinu is a deity involved in the food.



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  補陀落山寺


  補陀洛山寺の開祖は、4世紀頃渡来したインド人の裸形上人で、那智の滝で観音菩薩を祀ったとの伝説があります。 現在、補陀洛山寺には人々を救う千手観音の木像が祀られています。

寺は補陀洛渡海の場所として知られ、太平洋のかなたにある観音が住む浄土を目指して死の渡海(865年から118年に実施されていた)を行った僧侶の墓碑と小さな渡海船の模型が見られます。


 Fudarakusan-Temple

  

Fudarakusan -Temple is said to originate in 4th century by an Indian priest named Ragyo-shonin who worshipped Kan-non-bosatsu (Buddhism god of motherhood). The wooden statue of Senju-kan-non-bosatsu (Buddhism god with one thousand hands to save people) is now set up in the temple.

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The temple was the sailing out place of the boat with a monk inside who believed entering the heaven where Kan-non lives. A model small boat and the memorial stone records of these monks during the period from 865 to 1185 year are set in the temple for those dead in a small boat believing the heaven over the ocean.
                                          

 かつて、この補陀落山寺から南の極楽浄土をめざして上人たちが船出していきました。生きたまま船の中に少しの食糧と油を積み、死出の旅に出たのです。貞観10年(868)の慶龍上人から享保7年(1722)の宥照上人まで25人が船出しました。『熊野巡見記』によれば。永禄8年(1565)金光坊が渡海しましたが、途中で気持が変わり、戻ってきたのですが、それを見た寺の僧たちが彼を海に突き落とし死なせてしまったと書かれています。他には、水が入る穴を貝が蓋をしたので、船が沈まず九州へたどり着き、そこで僧として立派な寺を建てた人の話があります。


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 ここは紀伊路と大辺路、伊勢路の交わる地点となっています。振分石の板碑です。300年に一度建て替えるそうです。この板碑は万治元年(1658)の建てられたました。

Here is the intersection of Kii Road, Ohechi Road and Ise. A stone monument is celled Huriwake-ishi (Sorting stone monument). It is reconstruct once every 300 years. This monument was built in Manji 1st year (1658).
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 補陀落山寺の後方の小高い山の中に、平維盛の供養塔、補陀落渡海上人の墓があります。


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 平維盛の供養塔(墓)と伝わっています。平家は忠盛ー清盛ー重盛ー維盛と続き、維盛は平家一門の最後の人です。『平家物語』によれば、寿永3年3月28日、ここから那智の沖にて入水しす、と記載がありますが、その後の維盛伝説があり、色川村の藤綱の要害にこもり、53歳で世をさったとも言われています。

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 自動車道を約1kmほど歩き、曼荼羅道の道標をみて右手に入ると、すぐに熊野古道に案内が見えてきます。
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 古道らしい雰囲気のある道が続いています。苔むした岩があります。木の切り株の上を苔が覆っていました。


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 右手に杉林、左手に竹林です。ゆるやかな登り坂が続きます。


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 林の中を2kmほど歩くと、荷坂峠の山頂付近に「尼将軍供養塔」があります。源頼朝の妻の北条政子が建てたそうです。頼朝、政子夫妻は熊野信仰が厚く、度々熊野を訪れたようです。


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 尼将軍供養塔から下り坂となっています。補陀洛山霊園から視界が広がり、遠くの山々を見はらせます。

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 今日の空は青くて澄んでいました。


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 右手の坂の中腹に荷坂の五地蔵が目にはいりました。平弥兵衛宗清が石屋の弥陀六と名を変えて、一の谷の合戦で亡くなった笛の名手、平敦盛(清盛の弟の子16歳)を供養するために作ったと伝えられています。(説明版より) 
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 那智大社に向かって、民家が並ぶ古道を歩きます。梅が咲いていました。もうすぐ春ですね。


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 市野々王子神社に着きました。

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 11時30分。今日はここで昼食にします。

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 柱を使わず石だけを積んだ郷倉跡です。町の文化財に指定されています。

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 市野々小学校は数年前の土砂崩れで大きな被害を受けました。古道のあちこちに土砂崩れの跡が残っています。庚申塚がありました。隣の石碑には申田彦の文字が刻まれています。


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 お杉社です。天照大神と忍穂耳(おしほみみ)尊(瓊瓊杵(ににぎ)尊の父)と覆不合(ふきあえず)尊(神武天皇の父)を祀っていました。
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 境内には天照大神が姿を現したと伝わる影向石(ようごういし)があります。



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by wakayamakiga | 2018-03-05 21:48 | Nachi / 那智 | Comments(0)

KIGA 熊野・高野国際語り部の会のブログです


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