カテゴリ:Ohechi route 大辺路( 5 )

Ohechi route-4 Nagai-zaka from Susami to Mirodu /長井坂(周参見~見老津へ)

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  10月18日(木)JRきのくに線周参見駅から見老津駅まで、大辺路の長井坂を歩きました。枯木灘海岸を見ながら自然林の中を歩く快適なコースです。歩行距離約10,5km。標高差250m。

October 18 th(Thursday) I walked from Susami Station on JR Kinokuni Line to Mirodu Station with KIGA members. It is a comfortable course to walk in the natural forest while watching Karekinada coast. Distance is about 10,5km. Elevation defference is 250m.

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 周参見駅から約1km、国道42号線を歩くと、熊野古道の標識があります。ここから馬転坂に入ります。
Walking on Route 42 about 1 km from Susami Station, there is a sign bord of Kumano Kodo. From here you will enter to Umakorobi-zaka.

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 工場の間を通ります。
Kumano road continues from the side of a factry.
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 馬転坂の入口。
The entrance of Umakorobi-zaka. It means the horse will fall.

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 500mほど急坂が続いています。
A steep slope will continue about 500 meteres.


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 坂を上りきれば平坦な山道です。ここから下りになります。
After going up the slope, it is a flat mountain road. From here the road goes down.


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 道標が立っています。No.46です。
There is a road sigh written as 42.


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 急に見晴らしが良くなり、枯木灘の素晴らしい景色が広がっています。
Suddenly the view is getting bettere and the wonderfull view of Karekinada is spreading.

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 左手の山道に入ります。
Let's enter the mountain path on your left.

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急な下り坂となっています。
It is a steep downhill for a while.
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 西浜の海岸にでました。しばらくフェンスの張った道を歩きましょう。
The coast called Nizhihama. Let's walk the fence-coverd road.

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 長井坂の案内をみて左折、山に向かって歩きます。
Let's turn to left when you see a signboard of Nagai-zaka and walk toward the mountain road.


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 道路の脇に地蔵尊が祀られています。
A small stone Jizo is enshined beside the road.

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 古道はJRの線路と並行しています。
The old road is paralleled to the railway line of JR.
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 道路脇にアザミの花。
A thistle flower is blooming.


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 木立に囲まれた道を約1km歩きます。
let's walk about 1 km in the forest.

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 タオの峠入口の標識をみて、左手の山道を登りましょう。
Look at the sign of "タオの峠入口(Tao Pass entrance)" and climb the mountain on the left.

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 狭いけれど、良く整備されて歩きやすい道です。
It is a narrow road, but well maintained.

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 一里塚松跡。 Ichirimatu-ato


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  自然林の中。
You can walk in the natural forest.
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  山の上にの丸い大きな石が見えます。
  There is a big round stone above the mountain.




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 山を越えると、和深川の集落です。
You can see a village of wabukagawa by crossing the mountain.

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 民家の軒下に珍しい花。
This is a rare moutain grass.


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 お寺があるので行ってみると、六地蔵が並んでいます。
There is a temple, let's go. The Rokujizo(six Jizo Buddha Statues) are lined up.


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 和深川の集会所を過ぎると大きな木がありました。
There is a big tree after passing by a community room of Wabukagawa.



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  和深川王子神社の石標。
There is a stone sign of Wabukagawa Oji Shrine.



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 王子神社です。
寛永2年(1625)に松本四郎大夫広正により創建されました。 王子神社と春日神社が祀られています。 室町時代以前の懸仏3体のご神体が保存されており文化的価値が高いです。 1846年と書かれた石灯籠や1847年と書かれた石づくりの手水鉢があります。 また神社境内の西側には、幹周り5.30メートル、高さ20メートルのムクノキがあります。 これは古い森林形態において貴重なものであると言われています。

 Wabukagawa Oji &Wabukagawa Shrine
This shrine was built by Matsumoto Shiro Daibu Hiromasa in 1625. Both of them were enshrined together here.
The three objects of worship are believed to have been made before Muromachi period (about 500 years ago).
And they are still preserved. There are a stone lantern made in 1846 and a stone washbasin made in 1847 in its precinct.
On the west side of this shirine, there's an old and giant tree called Mukunoki or a kind of elm tree, which is 5.3 meters around and 20 meters high,which is said to be precious in old forest morphology. (by T.S)




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 今日はここでランチとします。


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 和深川王子をあとに、ゆるやかな坂道を歩きます。道路の右側にJRの線路の高架の上を歩く道があるので行ってみましょう。

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 坂の上の徳本上人名号碑があります。


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 ここは山を掘削したあとですね。


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 和深川から長井坂の西登り口まで、景色のよいゆるやかな坂道となっています。のどかな秋の草花を楽しむことができます。

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 長井坂登り口の看板。


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 道路の右手に和深川。

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 川を渡って長井坂を上ります。

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 急坂を約700m、上ります。天空を走る高速道路が見えます。


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 猪垣がありました。

猪垣(鹿垣)Shishi-gaki

長井坂の急な坂の上り口に数段の田んぼのあとがあって、今は杉林になっています。この田んぼの上側に田んぼを囲むように長い石の壁があります。長さは200m以上です。

There are several steps of rice field remains before steep slope of "Nagai-zaka". Now but this area is cedar forest. On the upper side of this remaining rice field, there is a long stone wall likes covering the rice field. The length of this wall is over 200m.

田んぼの石垣のてっぺんは水平ですが、この壁は水平にはなっていません。両側が石垣で、高さも幅も1m位です。この石垣は「猪垣」と呼ばれています。

Top of the stone wall of the ricefield is level. But this stone wall is not level, it has two sides of stone walls, the width is less than one meter and the hight is more than one meter. This wall is called "Shishi-gaki" or wild boar barrier.

猪垣は江戸時代から作られました。この壁の高さや構造では野生動物から農産物を完全に守ることはできません。入口に深い穴があったと言われています。壁に沿って歩いてきた動物を捕らえて食料にしたと考えられます。当時は動物性タンパク質が極度に不足していました。

Shishi-gaki was built in since Edo era. This barrier can not defend the agiricultual products completely against the wild animals by their hight and structure. It is said that there was a deep hole at the entrance. It is said that this barrier was made for catching the wild animals walking along the wall by hiding a hole in the opening of the wall. Because in those days people severely faced the lack of animal protein. (by H.Y)


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 道路標識はNo.57です。朝、馬転び坂で見た標識は46だったから・・・12×500m=5000。まだ5km!

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 しばらく急な坂道です。

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 見老津まであと3,9km。頑張りましょう!

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 長井坂の尾根道が約2,5km続いています。版築(段築とも)により土手状の歩きやすい道です。

版築 (段築)
   版築とは、山と山との鞍部(低い谷筋)に、何層にも分けた土層を突き固めて構築したものです。古道の平面を一定に保ち、稜線として、通り易くしています。版築の道の左右の法面(のりめん)は高い傾斜となっています。
  古道は参詣者だけでなく、商人の移動や物資運搬にも利用されました。数百年たった現代でも、ほとんど崩れずに残っています。排水の容易な尾根筋にあるからでしょう。

   Hanchiku is a place which was made at the col between the mountains, piled up with soil and tamped. Because of Hanchiku, the road is level, and people could walk easily.
   This road has been maintained routinely, so it can be used not only as a pilgrimage road but also for everyday use. Hanchiku still remains as good as before, maybe because it exists on the ridge of the mountains where the drainage system is good. (by Y.S)


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 ここにも標識があります。


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 枯葉が積もって、足にやさしい道ですね。

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 No.62にきました。

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 大きな木がありました。

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 古い標識です。「やまみち・・・くまのみち」の文字が判読できます。


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 古道は続くよどこまでも・・・。茶屋の段をすぎると急な下り道となります。


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 長井坂東上り口の標識です。ここから約1,3km。25分ほどです。
The sign at the bottom of Nagai-slope route for north going, saying 1.3km by 25 minutes of ascent walk.

長井坂の南端の見老津駅の手前約1kmは急な下り坂です。 この周参見地域を治めていた安宅族による記録では、1530年の冬に、この急坂で新宮の堀之内軍勢とで合戦があったそうです。安宅勢は弓矢と槍で坂の上から新宮勢を撃退したそうです。
戦国期の地元豪族間の覇権争いの跡です。
About 1 km path toward Mirozu-station is a steepdown slope. According to the record by the local clan Ataka who
governed this area (Susami), there was a battle along this steep slope with arrows and longswards between Ataka-
clan and Shingu-clan about 500 years ago. Both two clans had competed each other to control the area. (by H.S)



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 着きました。見老津駅前の海岸。
Now reached Mirozu JR station, from which a nice ocean view with rocks in the sea.

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 ごつごつした岩場の海岸です。


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by wakayamakiga | 2018-11-25 00:01 | Ohechi route 大辺路 | Comments(0)

Ohechi route-5 From Mirodu to Tako /大辺路 見老津~田子へ

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 2018年11月15日(木)熊野古道の大辺路の道を見老津駅から田子まで歩きました。   
 このコースは枯木灘とよばれる海を眺めながら歩きます。国道42号線と合流したり、離れたり・・・距離は約15km。比較的平坦なコースなので初心者でもOKです。
 午前6時45分、JR和歌山駅を車で出発し、8時半、見老津駅に到着。

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  見老津駅前の海。早朝の海を眺めると気分は爽快です。左奥に戎島が見えます。

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 見老津特産の「うつぼの干物」。この地方の風物詩ですね。

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 道路の左手に石塔があります。「六十六部廻国塔」です。熊野街道はここから旧道に入ります。

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 振り返ると「戎島」


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 小学校の校庭の前をとおり、再び42号線と合流。約1,3km歩きます。「日本童謡の国」の看板を右にみて童謡の国へ入らず、まっすく中央の道を歩きましょう。
 街道は海をみて左に曲がります。海岸をバックに地蔵仏が2つ。一つは「みちびき地蔵」の文字が台座に刻まれています。

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 もう一体は「道分地蔵」です。左手前方に小高い丘があり、階段をのぼると小さな祠があります。松の内地蔵(線描)です。

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 42号線の高架の下をくぐって右折。しばらく42号線にそって歩きます。「エビとカニ水族館」「道の駅すさみ」の標識を右にみながら左折、800mほど歩くと江住駅につきます。見老津からここまで約3,5km。

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 街道脇に山野草の花が。これはウハギ(ヨメナ)です。万葉集にも歌われています。


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 さあ、ここから熊野街道です。



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 しばらく急な上り道が続きます。



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 「宇の平見地蔵」


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 「宇の平見」バス停。ここで国道と出会います。



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 車道ですが、野草が咲いています。


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 「中の平見地蔵」「大平見の地蔵」と平見地蔵が続きます。「宇の平見地蔵」から「大平見の地蔵」まで約1,2km。



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 「大平見地蔵」から国道と離れて熊野街道に入ります。


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 ここに「大辺路」の標識があります。


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 里野の浜に着きました。今日は雲一つない青空です。


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 青い空、青い海が広がっています。


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 景色に見とれて・・・しばらく海岸で遊ぶことにします。
 午前11時。少し早いけれど今日はここでランチタイムとしましょう。ここは夏には海水浴場となります。

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 黒い石の海岸が続きます。


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 里野の浜から海岸沿いに六坊浜を歩いてみましょう。


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 42号線にでました。



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 街道は42号線からそれて旧道に入ります。



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 六地蔵仏。



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「南無阿弥陀仏」と刻まれています。徳本上人とも書かれていますが、徳本上人の筆体ではありません。台座に「文政十年十月六日 念仏講中 善吉 庄次郎 直吉 治平」の文字があります。


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 木之本神社から南に突き出した半島状の小さな島は、道路建設のために掘削されてできた?


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 国道42号線沿いに金毘羅宮があります。どこまでも続く青い海。



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 国道の脇に石像が並んでいます。


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 この像はカップルです。熊野古道でカップル像は珍しいですね。



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 和深駅です。この先の袴線橋が老朽化のため、通行止めとなっています。左に回り、信号を渡って右折し山沿いの道を歩きます。



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 国道と交差する所にお地蔵さま。

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 新田平見道の標識。


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 こんもりした林の中を歩きます。

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 猪を追い込み捕える猪垣。

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 古道らしい道が続きます。


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 民家が並ぶ道。11月というのに梅の花!!


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 安指(あざし)バス停にでました。田子駅まであと800m。


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 国道沿いに白い花。

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 太平洋を望む青く澄んだ海。

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 これぞ徳本上人名号碑。
この日高郡地区で生まれた徳本上は、江戸時代(18世紀末)の浄土宗僧侶で、苦行により悟りを開き、その独特の念仏スタイルで将軍から一般庶民までに信者を集めました。彼の書体も独特で、この碑にその特徴が見られます。

A priest named Tokuhon lived in Edo-period was born in 1758 at this Hidaka area. He underwent a hard Buddhism training by himself, and after attaining enlightenment, he propagated an unique style of praying and was followed by both Shogun as well as many common Buddhism believers in Edo and various area of Japan.

His style of handwriting was also unique, which you can see in this stone monument. (by H.S )




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 田子駅に着きました。今日の徒歩数24500歩。お疲れ様でした。


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by wakayamakiga | 2018-11-23 22:46 | Ohechi route 大辺路 | Comments(0)

Ohechi route-3 From Ago to Susami / 大辺路ー3 安居~仏坂~周参見王子へ

 9月20日(木)、朝からあいにくの雨でしたが、KIGAのメンバー13名が紀伊路の仏坂越えの道を歩きました。 午前9時、「安居の渡し場」へ。

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  山間の景色に木造船がとてもよく似合います。


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  「安居の渡し」の標識が立っています。


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  「渡し舟」に乗りました。小雨の中、周辺は霧がかかり、とても良い雰囲気です。
  
  安居の渡し
  安居の渡しは熊野古道大辺路の富田坂を下った安居の集落から仏坂、日置川を渡る渡し船です。大辺路街道では唯一、舟で渡る熊野古道です。川幅30m程。昔は今の倍ほどあり、かなりの水量だったといいます。
   
   往時より渡し船が往来していた場所であり、江戸時代には紀州藩主や京都から三宝院門跡が大勢の随行者を連れて通る際は、川に船を並べて、舟橋を架けていました。
   この渡しは昭和29年9月に廃止されましたが、平成17年に地元の人々の手によって「大辺路安居の渡し保存会」が結成され、昔ながらの渡し船が復活し、当時の風情を伝えています。

  電話予約 0739-53-0194(平日9:00~15:00 利用日の3日前迄に)
  料金   1人 500円

   
   Ago no Watashi Ferry 【World Heritage】

   Ferries have crossed back and forth here since old times. In the Edo Period, when feudal lord from the state of Kii (Wakayama) and Sanpouin Monzeki from Kyoto crossed with their many attendants, ferry boats were arranged side by side to form a bridge. 
   Though the ferry service here was discontinued in 1954, it was rivived in 2005 by local residents through the formation of the Ohechi Ago Ferry Preservation Association. It is continued today in the same aesthetic as in old times.(Yumiko.S)

  Reservation required Tel: 0739-53-0194 500 yen per person 


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  渡し場から約1km、急な登り坂が続いています。山頂付近は道幅が狭くなっています。滑らないように気を付けて歩きましょう。



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    道標を見て、道路は左に曲がります。


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   桂松跡です。ここまでの標高差180m、ここから頂上の「茶屋跡」まで約200mです。
桂松跡:  江戸時代紀行文中に見られ、古くから知られていたようである。 1,689年の"紀南郷導紀"に"カツラ松の坂”、そして寛政年間の"熊野巡覧紀"には、"峠に桂松有り”としています。 また"熊野街道沿村取調私記”では、”カツラ松、一里塚松の山”と記されました。和歌山から25里(約100 km)の距離です。 桂松の名は、その上部がカツラをかぶったような形をしていたのでそう呼ばれました。

   Vestige of Katsura Pine: The name of "Katsura Pine" was seen in travelogues from the Edo Period and it had been known for some time. "Kinan Kyoudouki "in 1689 mentions "Katsura Pine Slope" and Kumano Junranki" in the Kansei era notes
"Katsura Pine Pass". In one personal account of villages along Kumano highway, Kumanokaido Torishirabe Shiki, Katsura Pine
was regarded as a milestone. It is a distance of 25 ri from Wakayama city. (about 100 km)It was so called because the upper part of its pine tree was shaped like a wig. (by T.S)
 

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  「仏坂の茶屋跡」に着きました。ここから尾根道を少し歩き、下り坂となります。
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   急斜面の山道です。


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   林道へでました。林道と交差しています。

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  道路の向こう側に古道が続いています。今はこの道は熊野古道として勧められていませんが、歩いてみることにします。

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  古い時代、電線をつないだ器具です。かつて、この道は幹線道路であったことを知ることができます。

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  石畳の道が続いています。古道らしい雰囲気があり、足に柔らかく歩きやすい道です。

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  大辺路、仏坂No30と書かれた道標があります。少し前まで、この道が熊野街道であったことを知ることができます。

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  とても歩きやすい尾根道です。でも、この先から道路は歩けなくなっています。土砂崩れがあったのでしょうか?
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  やむを得ず林道まで引き返しました。一日も早い道路の復興を願っています。 



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  林道を下村に向かって歩きます。途中、珍しい木があり花を咲かせていました。


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  下村に着く頃には雨が本降りになってきたので、雨宿りできる所を探しました。橋の下?でも、そこに13人は無理でしょう! 運よく、下村の集会所らしき建物が目に入りました。その建物の軒下を借りることにしました。今日はここでランチタイムとします。



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  下村から222号線を南に向かって歩きます。雨の中、彼岸花の赤い色が鮮やかです。


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  山間の道沿いに山野草がたくさん咲いています。
 

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   太間川に沿って歩きましょう。

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 道路脇に小さな石仏が祀られています。よく見れば足で鬼を踏んづけています。

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 見上げれば岩のくぼみに大きな蜂の巣がありました。

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   地主神社
   入谷橋の手前を左に入ると地主(じぬし・じのし)神社があります。倭国が成立する前の時代から、人々は大きな樹や巨岩や滝などをご神体として祀り、崇拝してきました。ここは入谷地区の神社として古くから祀られきました。巨岩と森をご神体といているので、社はありません。
Beside Iritani-bridge, you can find Jinoshi-shrine, which enshrines a big stone and the surrounding forest.
There is no Torii-gate nor shrine building which are typical features of Japanese shrine. Jinoshi-shrine preserves a primitive style of nature worship by the local people. (by H.S)
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    振り返れば大きな岩がありました。The big rocks above Jinoshi-shrine.
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  太間川に架かる堀切橋を右手に見て左折、JRの踏切を渡り右折します。周参見王子神社です。地主神社から約3,5km。  
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  安養山萬福寺
  周参見川に架かる遠見橋を渡り、周参見の集落に入ります。小学校の前を通り、周参見町役場、郵便局が並んでいます。狭い路地を入ると萬福寺です。
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  六地蔵が並んでいます。六地蔵は俗界から聖域に入る入口、あるいは現生から来世に入る入口に祀られています。人が住む迷いの世界、それぞれ地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天を現すと言われています。
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 臨済宗
  日本臨済宗は鎌倉時代から室町時代中期にかけて中国に宋と元の中国禅を受け入れ日本化しました。江戸時代の元和・寛永(1615年-1544年)のころ、明朝の動乱から逃れた多くの中国人、華僑が長崎に渡来し在住。長崎三寺(興福寺、福済寺、崇福寺)が建てられ、多くの明僧も招かれていました。 
 臨済宗と黄檗宗 
  黄檗宗は1654年、隠元隆き により始まりました。当初は臨済正宗や臨済禅宗黄檗派を名乗っていましたが、明治7年(1874)、明治政府教部省が禅宗を臨済、曹洞の二派と定めたため、強引に臨済宗黄檗派に改称させられました。その後、明治9年(1876)、黄檗宗として正式に禅宗として独立することとなりました。教義、修行、儀礼、布教は日本臨済宗とかわらないとされています。  
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by wakayamakiga | 2018-09-23 23:13 | Ohechi route 大辺路 | Comments(0)

Ohechi route -2 Tonda-zaka /大辺路ー2 富田坂超えの道

  今年の夏の暑さは異常です。各地で37度~39度を超し、熱中症患者が続出しています。
  7月26日(木)、KIGAのメンバー6名が熊野古道の大辺路の、富田坂を超えて安居へ歩きました。
 The hot days continue. The summer heat in this year is abnormal. Recorded 37~39degrees Celsius in various places and many people became heat stroke patients.
On Thursday, 26th six members of KIGA walked to Atagi beyond Tonda-zaka(slope) in Kumano Kodo(ancient road to Kumano).

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 紀伊富田駅から東へ向かい、富田橋を渡ります。右折し南へ、42号線と並行する古道を約20分歩くと高瀬川が見えてきます。高瀬橋を渡り、右折すると草堂寺へ。左折すると飛鳥神社です。まずは飛鳥神社へ行きます。

Let's go to east from kii Tonda station, cross the Tonda-bashi(bridge). Turn to right and walking along the ancient road parallel to line 42, you will see the Takase River. If you turn to right, you will go to Sodoji temple, as you turn to left, Asuka Jinjya (shrine) is built there.  First of all, will you go to Asuka Shrine?

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飛鳥神社の鳥居です  This is Torii Gate to Asuka Shrine.


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石段を上ると小さな社があります。
As you go up the stone steps, there is a small shrine.

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祠の右の方に石像があります。役行者(役小角とも)のようです。
There is a stone statue on the right side of the Shrine. It seems En-no-gyoujya(en-no-ozunu).

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  かつて、大辺路は修験道者たちの修験の場でした。
Once, Kohechi Road was a place for the Buddhist priests who train themselves by enduring ascetic practices.

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  大辺路は田辺と浜の宮(那智勝浦町)をむすぶ海岸沿いの道で、約94kmの距離があります。浜の宮で山中を通ってきた中辺路と合流し、さらに海岸沿いに進めば、新宮から熊野川を渡り、伊勢路へと続きます。大辺路は紀伊半島をぐるりと周る壮大な街道です。

  大辺路は中辺路、小辺路と同じように熊野へと続く参詣の道でした。けれども中世の上皇や女院の熊野御幸はほとんど中辺路を通りました。また、蟻の熊野詣でと言われるほど、多くの大衆の参詣も殆どが中辺路を通りました。

  Ohechi route is a road along the coast tying Tanabe and Hamanomiya(Nachikatuura-cho), which is about 94km away. The road join the Nakahechi route that passed through the mountains at Hamanomiya, and further along the coast, cross the Kumano River from Shingu, Continue to Ise Road. Ohechi is a magnificent way that goes round the Kii Peninsula.

Ohechi route goes on Kumano like as Nakahechi route. However, many Joko(retired Emperor) and Inn(woman's royal famiry) passed through Nakahechi mostly. In addition, most of th massavres of people who were said “ to visit ants to Kumano” went through Nakahechi way.(Michi A)
  

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草堂寺 Sodoji Temple

  この寺は平成28年世界遺産追加登録された熊野古道大辺地富田坂の入口に建っています。芦雪寺とも呼ばれ、丸山応挙・長澤芦雪筆の屏風5隻・障壁画71面(国重文)等があります。当寺5世住持・持棠陰と親交があった応挙が、本堂の建立に際し、高弟 芦雪を自らの作品と共に、送りこんだ結果、残されたものです。

  From JR Tonda station, you pass Tonda bridge and walk south for 1.5km, you come to Sodoji-temple. This is an entrance of Tonda-saka (slope) which was additionally registered as World Heritage in 2017. The temple is also called as Rosetsu-temple, because here are some paintings painted by Rosetsu and Okyo who were very famous painters in Edo era and those paintings are designated as Japanese important cultural property.  
  When you see the temple , you will be surprised to see spectacular stone walls which are like ones of a castle. 
  You walk up a slope along the south stone wall of the temple to Tonda-saka (slope). (Yumiko S.)
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熊野古道・富田坂は草堂寺の城壁を思わせるような石垣の脇を上ります。
The Tonda-saka path starts at the steps beside stone wall like castle bank.

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 一里松あと There was a mound of the mile pine tree, Ichiri-matsu.
  

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 急な坂道を上ると平坦な道にでます。ここから少し歩くと、七曲りといわれる急坂が待っているのです。
After a short uphill walk, a plain path about 20 minutes walk, then another uphill walk called Seven Winding paths.

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 馬谷城あとの標識があります。
Umatani castle ruins is located in the hill along the path after Ichiri-matsu. The ruins protected by sand bank is thought to be
built in the Middle Ages (15~16C) by the local clan Atagi who ruled this area. The notice explains about the findings of the
excavation. (by H. S)

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桜島・姶良火山灰層: 富田坂から日置川の支流である三ヶ川に沿って”安居の渡し”に向かって林道を下っていきます。 途中で珍しい火山灰層が見られます。 温泉の多い紀伊半島ですが、不思議と火山は、ありません。 遠く離れた霧島火山帯の桜島は、過去5,000回以上も爆発を繰り返しています。 今から22,000年前に大爆発を起こし、九州全土に火山灰が降り積もりシラス台地を形成しました。  
大量の火山灰は、約500km離れた紀伊半島まで偏西風に乗って運ばれ降り積もりました。 現在、これが、地層として見られます。

Sakurajima & Aira volcano ash layer: From Tondazaka, going down the forest road along the river toward "Ago no watashi"
which is a tributary of Hikigawa river . The Aira volcanic ash layer from Sakurajima in Kyushu , southern part of Japan can be seen. There're lots of hot springs in Kii peninsula , but strange to say, there's no volcano. Sakurajima is about 500 kms away from here.
It exploded more than 5,000 times in the past. 22,000 years ago, it had the biggest explosion. And whole of Kyushu was
covered with volcanic ashes. As the result of this, Shirasu plateau was formed. A large amount of volcanic blown up into the air was carried away by westerly wind and was arrived in Kii peninsula. That's why it can be seen here. (by T. S)

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by wakayamakiga | 2018-08-05 17:59 | Ohechi route 大辺路 | Comments(0)

Ohechi route -1 From Sinjyo to Tonda / 大辺路ー1-1 きい新庄~富田へ

  熊野古道、大辺路はJRきい田辺駅から、那智に向かって海岸沿いに歩く古道です。
  ゴールデンウイークの5月3日、KIGAのメンバー6名がJRきい新庄駅からきい富田駅まで歩きました。距離は約15km、標高差約100m。国道42号線と交差しながら歩きます。
Oh-hechi route of Kumano-kodo starts from Kii-Tanabe to Nachi via the track along the coast of Pacific ocean.
The first route of Oh-hechi, is 15km from JR Kii-Tanabe station to Tonda station with only 100m height, along with Route-42 road.
The 6 members of KIGA took this route from JR kii-Sinjyo station on May 03,2018. 

大辺路は、紀伊田辺から那智勝浦を結ぶ海辺の道です。那智の浜の宮王子で大辺路と伊勢路・中辺路が合流して那智大社へ通じます。 中世の熊野詣や江戸期の西国三十三所巡礼のメインルートであった中辺路などと比べ、大辺路の旅籠や茶屋は乏しく、参詣者数は比較的少なかったようです。一方途上に厳しい峠道(富田坂、仏坂、長井坂)が控えています。紀伊山地南端の山々を背に、前面に枯木灘や熊野灘の変化に富む海を望んで、優れた景観が大辺路の大きな魅力です。ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部で、2017年に追加登録されました。

Oh-hechi route of Kumano-kodo starts from kii-Tanabe to Nachi-Katsuura along the coast of Pacific ocean. The track joints with Ise-ji (eastern route from Ise-shrine) and Naka-hechi (central route of Kumano-kodo) at Hamanomiya-ohji at Nach-town, heading for Nachi-shrine.
 Comparing with Naka-hechi route which was the main pilgrimage road during Heian period as well as Edo-period for visiting Saigoku thirty –three temples, the number of visitors to Oh-hechi was relatively small with less numbers of inns and shops along the track.
The track, however, includes mountain passes such as Tonda-pass, Hotoke-pass and Nagai-pass. The beautiful ocean view such as Kareki-nada (beach) and Kumano-nada with Kii mountains on the back is the most attractive point of Oh-hechi route.
The track was nominated additionally in 2017 as a part of the world heritage by UNESCO of Pilgrimage Routes in Kii-mountain range.(H.S)
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 午前8時30分。JR紀伊新庄駅に集合、出発です。
We started from JR Kii-Shinjyo station at 8:30am
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 駅のすぐ近くの路地にお地蔵さまが。
The small Jizo-statures near the station were charmingly maintained by the local people.
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 駅前の道路を左折し、狭い路地を南に歩くと国道42号線に合流します。大型スーパーマーケットの後方の道を歩くと、再び42号線に出会います。国道にかかる陸橋を渡り反対側へ。国道を数十メートル歩いて左折すると、熊野古道大辺路の標識があります。
Turning to the left from the station, a narrow lane will join with Route 42 road. Walk on the crossing bridge over Route 42, you will find a sign of Oh-hechi of Kumano-kodo on the left after about 50m's walk.
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 大潟神社の鳥居が見えてきました。
The torii gate of the Ogata Shrine has come into view.

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 鳥居を潜ると、もう一つの鳥居が立っています。
When you'll go dawn a tori, another torii stands on your right.



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 大潟神社
  田辺市新庄1441番地。
  主祭神は天照大御神、大山祇神、武御雷之男命、武蝦鳥命。
  配祇神として素戔之男命、言代主命、手名槌命、大名牟遅命、足名槌命、火之伽具槌命、大土命、菅原道真公、豊宇気比売命、大国主命、稲田比売命、猿田比古命、宇伽之魂命。
  境内社に大土神社、馬目神社。

The main deitis of this shrine are Amaterasu-omi-kami,Ouyamatsumi-kami,Takemikazuchi-no-mikoto.
And the distribution deitis are Susanoh-no-mikoto,Kotoshironushi-no-mikoto,Tenazuchi-no-mikoto,Ohnamichi-no-mikoto,Ashinazuchi-no-mikoto,Honokagituchi-no-mikoto,Ohtuchi-no-mikoto,Toyoukehime-no-mikoto,Ohkuninushi-no-mikoto,Inadahime-no-mikoto,Sarutahime-no-mikoto,Ukano-mitama.
There are Otsuchi Jinjya(Shrine) and Umame Jinjya in the precincts.

  大潟神社はもと若一王子と称し、熊野古道大辺路の山麓に鎮座していたが、昭和16年、現代地に神殿を造営し、遷されました。社伝によれば創建は欽明天皇10年(520)と伝わっていますが、詳しいことはわかっていません。
  慶安2年(1649)の「田辺村々・瀬戸・神社書上」が最も古い資料として記載されています。明治の神仏分離令により、明治元年9月、大潟宮(大潟神社)と改称。同10年、村内の馬目神社、愛宕神社、菅原神社、田中神社、金毘羅神社を合祀、境内社としました。
  明治41年、一村一社の神社合祀令により、42年7月、村内の神社(内の浦の山祇神社、鳥のノ巣の上島神社、神島神社の遥拝所の祭神を本殿に合祀。

Ogata Shrine was celled the former Nyakuichi Oji, and it was settled at the foot of mountain in the Kumano Kodo, Ohechi Road. But in 1945, it built a shrine in the current location.
According to this shrine 's tradition, the foundation is transmitted as Emperor Kinmei(540), but details are unknouwn.
In the Meiji era, Japanese government ordered Jinjya-Goshi-rei,which is a law for collecting all the shrines in the village and enshrineing them in one shrine. this shrine was renamed the Ogata Shrine,and all the shrines in the villege are gathered here.



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 大潟神社の前の狭い坂道を上ります。途中、季節の花を見ながら歩くのも楽しいものですね。日本古来の花を探しながら歩きましょう。
Walking to the right in front of Ogata Shrine and go up narrow slope. It is fun to see the flowers of each seasons on the way. let's walk while looking for Japanese ancient times flowers.
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 国道の上の道を歩きます。
Let's walk on the road crossing over Route 42.


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 ここは古道の雰囲気のある道です。
This is the road to feel atmosphere of ancient Kumano road.



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 大潟神社から約800m、峠へむかう自動車道を歩くと、右手に小さな祠があり、中に2体の地蔵尊が祀られています。道分地蔵です。昔、ここは2つの道の分岐点でした。
Walking from Ogata Shrine about 800 meters, along the way to the pass, there is a small shrine on the right, and two Jizo statues are enshrined inside, these are Michiwake Jizo. Once upon a time, here was a branch point of two roads.

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  阪和高速道路と42号線が交差しています。左手の高速道路の下、42号線の標識をみて櫟原神社へ向かいましょう
Where the Hanwa Expressway and Route 42 intersect. Let's walk to Ichihara Shrine with signs on Route 42 under the expressway on your left.

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 42号線の左の側道を少し歩くと、「南無阿弥陀仏」と刻まれた石碑が見えてきます

After walking a little on left side of Route 42, you can see a stone monument caved as "Namuamidabutsu".



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 「峠の大師堂」です。道分神社から約1,4km。
It is "Daishido of the pass". It is approximately 1,4km from Michiwake Jizo Shrine.


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 お大師さまが祀られています。
Kobo-daishi (Kukai) is enshrined in it.


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  峠のバス停です。今は峠とは名ばかりの、なだらかの道ですが・・・。
  42号線を南に向かって歩きます。JRきのくに線の上の袴線橋を越えて、さらに1,5kmほど歩くと、道路の右手に朝来駅があります。熊野古道は駅と反対側の左手へ入ります。
There is a bus stop written as Toge(pass), but now it is only named, the road is gentle.
Walking south toward Route 42, beyond, the bridge on the JR Kinokuni
line. and walk a further 1,5km, you will see Asso station on the right side. Kumano Kodo enters to the left hand, opposite to station.


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  左側のすぐ前に「上富田産業振興交流館」と書かれた建物があるので入ります。ここは熊野古道を訪れた人たちが休憩できる場所となっています。中に入ると「紀州くちくまの熱中小学校」と書いた幕がありました。上富田地区の子供たちが取り組んでいる催しの獅子舞について、佐多圭一郎さんから熱心にお話を伺いました。

"Kamitonda Iindustry Promotion Excange Center" is located at the left side. This is the place where those who visited Kumano Kodo can take a break. Mr. Keiichiro Sata talked about the lion dance event held by children in this erea.

  
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 交流館に隣接して、櫟原神社があります。
There is Ichihara Shrine next to Exchange center.


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  櫟原神社の主祭神は建美名方命(たけみなかたのみこと)他8神です。ほかに配祀神として大巳貴神、虫遂神、市杵島姫命が祀られています。境内社に梅田神社、厳島神社があります。

The main deity of Ichihara Shrine is Takeminakata-no-mikoto. and 8 deities are enshrined there. Besides that, as the deities of distribution, Omi-kishin, Mushitui-sin and Ichikishima-hime are enshrined. Within precinct there are Umeda Shrine and Itsukushima Shrine.

  この社は旧諏訪神社、梅田神社、厳島神社、岩崎神社の4社を合祀し、櫟原神社といいます。明治41年の神社合祀例により、一時期、岩崎神社に祀られていましたが、大正2年11月、現在地に遷されました。

 同じ時期に野田の八幡神社、飛野の日隅神社(玉神さん)、愛宕神社、虫遂社を合祀しました。
 諏訪神社は天正年間(1573)、山本主膳守が統治した時、自家の鬼門除の神として長野県の諏訪神社より勧請したと伝わり、また元亀元年(1570)村の人達が協力して勧請したとも言われています。
 祭りは前日の宵宮、夜間、本祭りがあり、獅子舞、子供獅子舞、毛槍踊り、楽団演奏などが行われるそうです。

This shrine relies on the former Suwa Shrine, Umeda Shrine, Itsukushima Shrine and Iwasaki Shrine, and it is called the Ichihara Shrine.
At first, the Ichihara Shrine was enshrined in Iwasaki Shrine's estate by the government system of shrine in Meiji 41, but it was moved to current location in 1920.

At the same time, Hachiman-Jinjya(Shrine), Hizumi Shrine, Atago Shrine and Mushithui Shrine are all enshrined together.

Suwa Shrine's deity was said to have been proposed from the Suwa Shrine in Nagano Prefecture as the deity of a self-owned demon by Yamamoto Shuzen in 1573.
Also it is said that in 1570, villagers cooperated and recommended the enshrinement.

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  境内の狛犬は子連れです。


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  こちらの狛犬が持っているのはサッカーボール(?)


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 櫟原神社から少し歩くと電柱の影に標識があります。標識を見失わないで、右折しましょう。櫟原神社から大日如来堂まで3,6kmです。


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 民家が並ぶ路地を抜けると素敵な薔薇の庭園があります。


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 いろいろな種類の薔薇が咲いています。このあと、古道は民家を抜けて田んぼと畑をぬけて、311号線へ出て、富田川にかかる山王橋(潜水橋)へ向かって歩きます。


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 富田川に架かる山王橋です。川の水量が増えると水の下に潜るので潜水橋とも言われています。


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 橋の幅が狭いので、渡るのはちょっと怖い気がします。


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 富田川の川岸の道を南へ歩くと、途中に大きな木があります。


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 木の根元に小さな石仏が祀られています。


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 さらに川岸を南へ向かって歩くと、道路標識があります。ここを左折しましょう。


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 厳島神社に着きました。社殿は103段の石段を上った山上にあります。


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 山上の厳島神社



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 石段の登り口に小さな祠があります。


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 中に三体の石仏が祀られています。


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 厳島神社から田んぼの中に真っすぐに伸びた道を歩き、大日如来像堂へ向かいます。この辺りはのどかな田園風景が広がっています。

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 大日堂の入り口付近で保呂の虫食い岩を見ることができます。
 
保呂の虫喰岩     Mushikui-iwaRock in Horo 

 保呂の虫喰岩は、幅約30m、高さ約20mの岸壁に多数の穴があいてます。この穴は、タフォニとよばれています。岩の表面をよく見ると砂の粒がみられ。手でさわるとパラパラとはがれ落ちてきます。この砂を、体のできものに塗ると病気が治る、という昔からの言い伝えがあります。


   Each of the many large andsmall pits honeycombing the cliff is called a tafone (plural: tafone). Thecliff reveals the sandstone layers of the ground throughout the area, originallyformed long ago as deposits on an ocean floor. According to a local folktale, askin blotch could be healed by applying the sand to it.
  

タフォニとは? 

What makes atafone?
   

  タフォニのでき方には、いろいろな説があります。その一つとして、塩分の再結晶により、岩の表面がはがれ落ちるという考え方があります。
   

There are various theoriesabout how the pits called tafone were formed. One theory is thatrecrystallization of the salt contained in the sandstone causes the rocksurface to flake away. (Y.S)



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  巨大な岩盤に無数の穴があいている景観は、自然が作った造形美です。 


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  六地蔵でしょうか?でもよく見れば、それぞれ形が違います。古道沿いにあった石仏が集められたと考えられます。


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  大日堂の如来像
  保呂の虫喰岩の横には、大日如来をおまつりした大日堂があります。ここは、土地の人が病気の回復を祈ったり、農耕で使う牛の健康や安全を祈る場となっています。
  

  Beside the tafone cliff isa shrine to the Dainici Budda, where local people pray for recovery from illness and for the health and safetyof their farm animals.




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 大日如来堂から民家と田んぼの中を約1,5km歩き、42号線に合流します。富田川に架かる平橋が見えています。コンクリートの道ですが、周辺の山々の景観と、自然の中の草花を見ながら歩くことができます。 


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 途中に石仏があります。右手に白鷺橋が見えはじめました。かつてこの辺りに渡し場があったそうです。



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 平間神社に着きました。大日如来堂から約2,9km。


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 平間神社
 平間神社は桃山時代、文禄2年(1593)この地に鎮座。主祭神は天佐具女命(アマノサグメノミコト)。摂社の若宮社に大宮能売神(オオミヤノメノカミ・市場の神、食物神、アメノフチダマの子)を祀っています。昭和56年11月、商売繁盛の恵比寿神が合祀されました。
 古くから地区の人たちの信仰が篤く、明治6年、村社となっています。昭和30年から社殿の修復工事が始まり、同59年5月に竣工式を行われました。
 祭りは11月23日。午前中は神事が、午後からは獅子舞と持ち投げなどが行われます。獅子舞と子供神輿は昭和50年から始まったそうです。
 主祭神の天佐具女(天探女とも)は『日本書記』の神話遍に登場する女神です。天稚彦について天下ったが、天照大神の使いの鳴女という雉を、この鳥は縁起が悪いと告げ口し、稚彦はその雉を矢で射殺してしまいます。天照大神と高木神に届いた矢を拾った高木神が「天稚彦に悪い心があれば当たる」と言って放った矢が天稚彦の胸を貫いた、というお話です。天邪鬼(あまのじゃく)の原型だとされています。
 万葉集に「ひさかたの天の探女が岩船の泊(はつ)てし高津はあせにけるかも」(巻3-292)の歌が残っています。
 

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  平間神社からさらに南へ。約0,9km歩き日神社へ。途中、富田川の大鰻生息地の看板があります。



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 日神社
   白浜町十九渕1177番地。
   明治以前は「若一王子の宮」と呼ばれ、社名の額が残っています。
   主祭神は天照大神。配祀神として壱岐島姫神、多紀理姫神、多

藝都姫神、忍穂耳神、大宮能売神、豊受大神、倉稲魂神、菅原道真公、上筒男神、中筒男神、底筒男神、息長帯姫神、

彌都波能賣神 八衢彦神 八衢姫神 久那戸神。 
   境内社に 厳島神社、若宮神社、稲荷神社、天満神社、住吉神社、水神社、塞神社があります。

   創建は平安時代、六条天皇の御代、仁安2年(1167)、吉田少将藤原範秀が所有する山林を開拓して、伊勢の天照大神の分霊を奉ったことが始まり。そのため、ここは伊勢谷と呼ばれています。分霊は船で富田川口に到着し、神輿をしばらくの間、富田川の川口に安置し幣帛を奉納します。この島は幣納島(へいのうじま)と呼ばれていましたが、いつしかへいぞう島と呼ばれるようになりました。
 創建以来、富田12カ村の産土神として栄えましたが、天正13年(1585)の兵火により、宝蔵、長床、宝蔵、神楽殿、絵馬舎等が火災にあい、明治の神仏分離令により、社号が「日神社」と改称されました。社領も召し上げられて、自然減少となりました。
 明治維新まで社号を「若一王子之宮」と呼び、紀伊続風土記にも記載があり、社殿は荘厳美麗を極め、紀州日光と呼ばれるほどでした。 
   例祭日は4月19日。日神社本殿附棟札、津波警報板は県指定文化材。

According to the shrine's legend, Norihide Yoshida cleared woodland owned by him and enshrined the separate spirit of deity Amaterasu Omikami from Ise Shrine.
That's why people call this region Iseya. The present main shrine was rebuilt in 1824 from the view point of style method. It is known that there were some excellent technicians in this region. Because sculptures with characteristic of this regiion were given in various places of its building.
The sculptures and colors givin in various places are fading, but at that time it was gorgeous as it was called Kishu Nikko.
  

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  末社の塞神社。


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  本殿の後方に建つ厳島神社。



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  富田川に架かる富田橋を渡ります。左の川岸に弘法大師を奉る大師堂があります。



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  真っすぐ西に向かうとJR富田駅に着きます。



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by wakayamakiga | 2018-05-07 22:12 | Ohechi route 大辺路 | Comments(0)

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