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99 Ojis in Kumano Kodo  Kii Route/ 熊野古道・紀伊路の九十九王子

Ancient Pilgrimage Road To Kumano / 熊野へのふるみち

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   熊野参詣道は紀伊半島の99王子を巡る旅です。古代、上皇たちは大阪から紀伊路を通り、本宮へ向かいました。
   Kumano Pilgrimage Road is a trip over 99 Ojis of Kii Peninsula. In ancient times, many Joko (Retired Emperors) headed from Kubotsu Oji (Osaka) in Kii road to Kumano Sanzan (Hongu Shrine, Hayatama Shrine and Nachi Shrine)

   99王子とは数が多いことからと言われています。時代が変わり古道のルートが変わると、王子の場所も数も変わってきています。

   The meaning of 99 Oji is said to have been a lot of number. When the times went down and the route of Kodo changed, the place and number of Ojis have also changed.

   熊野古道の王子について、熊野の皇子神という説と、分霊という説があります。もともとは各地の人々で祀られていた霊的な地を、修験道者たちが歩きはじめ、後に上皇たちが歩いたと思われます。

There are two theories about Ojis of Kumano Kodo. One is the theory that it is the son of Kumano god, and the other is the the theory of the divine spirit of the Kumano god.
It is thought that the Joko walked while visiting the spiritual place which was originally secured by the people of each region.
Or, in the earlier age, it was also the road the mountain monks walkd there.(M.A)



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by wakayamakiga | 2018-10-16 11:34 | Kii route /紀伊路 | Comments(0)

熊野古道歩こう会10月のご案内

 蜜柑、柿が店頭に並びはじめました。季節はもう秋ですね。 
 KIGAの10月の案内です。
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 熊野古道・紀伊路 -④ 
 海南駅~拝の峠~蕪坂~紀伊宮原へ

 :日時 10月4日(木) AM8:30 
:集合 JR海南駅
 【コース予定】 海南駅➡一の鳥居➡祓戸王子➡鈴木屋敷➡藤代王子➡有間皇子の墓➡筆捨松)➡塔下王子➡橘本王子➡所坂王子➡一壺王子➡拝の峠➡蕪坂塔下王子➡爪書王子➡山口王子➡伏原の里➡紀伊宮原駅(約14,4km。標高差350m)
:参加費 500円(資料代など)


 熊野古道・大辺路‐④ 
 長井坂 周参見駅~見老津駅

:日時 10月18日(木)
:集合 JR和歌山駅東口 AM7:50 (レンタカーで移動します)
【コース予定】周参見駅➡馬転坂入口➡タオの峠➡和深川王子➡長井坂西登り口➡茶屋の段➡見老津駅(約10,5km。標高差230m)
:参加費 500円(資料代など) 交通費実費(レンタカー代金、高速料金を参加者で分担します)

熊野古道 紀伊路 道成寺~岩内古墳~紀州鉄道・西御坊駅
万葉ウオークと公演
 Musical 宮子姫~有間皇子塚がむすぶ縁~
 

:日時  11月11日(日)
:集合 JR 和歌山駅 東口 7:30 出発8:00 (貸切バスを利用します) 

【コース予定】JR和歌山駅8:30➡御坊駅10:20➡道成寺➡九海士王子➡湯川子安神社➡岩内王子➡岩内1号墳➡野島の万葉歌碑➡西御坊駅➡御坊市民文化会館(ミュージカル会場)14:30 公演終了16:40
:講師(敬称略)馬場吉久(全国万葉協会)/山元晃(紀伊風土記の丘) :公演 劇団KCM ➡(バスで)御坊駅➡JR和歌山駅20:00予定

【ウオーク参加費 】500円+貸切バス代2000円(要予約) 【ミュージカル入場券】1500円、当日券2000円
●11月10日(土)18:00 講演「宇宙から見た紀伊半島」久保田弘敏教授(帝京大学客員教授)無料
●同日、会場の川辺天文公園内で親睦会があります。会費4000円(食事代)宿泊もできます。



KIGA 熊野・高野国際語り部の会
【申込・連絡先】〒640-0302 和歌山市永山83-5 東 道  ℡ 073-478-2711 / 090-2062-7778
E-mail kiga@silk.plala.or.jp http://wakigaaris.exblog.jp/ http://ariskiga.exblog.jp/




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by wakayamakiga | 2018-10-16 11:34 | Information/ウオーク案内 | Comments(0)

Kii route-4 From Kainan to Miyahara 紀伊路・海南駅~紀伊宮原へ

10月4日(木)、朝から雨です。熊野古道・紀伊路の海南駅から紀伊宮原駅まで約15km。9名が歩きました。
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  海南駅からJRの線路の下をくぐり海南市鳥居の日限地蔵寺へ。この寺には全国各地から集まった沢山の地蔵が祀られています。日を限ってお願いすると叶えられるという信仰があります。古い時代の石垣が残っています。鎌倉時代、この近くに大野城があり、紀伊国の政所でした。境内に領主の山名氏の供養塔があります。


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  日限地蔵寺の裏山に上がると、隣のお寺の境内の山の後方に小さな仏像があります。ここから古道に入ることができます。


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  右手にまわると海南市内の景色を見渡すことができます。


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  「祓戸王子の跡」と書かれた石の標識があります。高さは120cmくらいでしょうか。



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 石標から戻り、林の中を歩きます。


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  道路沿いに小さな石仏が並んでいます。


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  紀州で生まれた徳本上人の名号碑があります。


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  古道の雰囲気の残る林をおり、民家がならぶ街道を歩きます。藤代神社の森が見えてきました。道路脇に「小栗街道」の標識があります。熊野古道は小栗判官が歩いた道でもあります。


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  全国で一番多いと言われる鈴木姓のルーツはこの藤代神社の鈴木さんです。ここに鈴木さんの屋敷あとがありました。


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 現在、復元工事がすすめられています。平安時代にはこの屋敷の前で曲水の宴が催されていました。 


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 藤代神社に着きました。創立当時、神社の入口は北側にあったそうです。 


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  藤代神社境内の子安神社です。この地方では子どもに熊、楠、藤の名をつけると丈夫に育つと言い伝えがあり、南方熊楠は幼少時代は病弱でしたが、この社の神主さんに熊楠の名をつけてもらってから、丈夫で賢い(天才!)子に育ったそうです。


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 「聖王三代重石」が境内の中ほどにあり、平安時代、宇多・花山・白河三上皇が熊野御幸を記念して建てられたものです。現在は2基が残っています。


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藤白王子神社:祓戸王子から歩いて約17分の所に、藤白王子神社が山の中腹にあります。海南市の景色を一望でき、和歌の浦を遙かに望むことが出来ます。主祭神は、饒速日命(にぎはやのみこと)です。藤白神社本殿は、和歌山県の重要文化財に指定されています。
この藤白王子神社は、658年に斉明天皇が、牟婁の湯(白浜温泉)に行幸の時に,この地を訪れ創建されたと言われます。この社は、熊野古道の中でも最も格式のある五躰王子の一つとされています。 また、聖なる熊野三山の最初の玄関口であり、大きな鳥居がありました。

About 17 minutes' walk from Haraido Oji, Fujishiro Oji Shrine is located on half way up the mountain. A panoramic view of
Kainan city and Wakano-ura far accross the ocean can be seen from here. The main deity is Nigihaya no Mikoto. The main
building is designated as an Important Cultural Asset in Wakayama pref. It is said that this Oji Shrine was built under the
request of the Empress Saimei when she travelled to Murono Yu (Shirahama hot spring) in 658. This shrine is said to be one of the five most important Ojis of the Kumano Ancient Road. There was a large Torii gate, which was the first gateway to get into the Sacred Kumano Sanzan region. (by T.S.)

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 右隣に「藤白王子権現社」が建っています。


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 熊野の本地仏三尊が並んでいます。

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  有間皇子神社
 権現堂の西に有間皇子神社があります。斉明4年(658)孝徳天皇の皇子、有間皇子がこの近くの藤代峠で謀反の罪をきて19歳で絞殺されました。皇子の命日の11月11日に毎年、慰霊祭が行われています。

Arima-no Miko Shrine and Arima-no Miko Story

There is a small shrine at the left side of Fujishiro-oji Gonngen Shrine. The deity of this shrine is Arima-no-miko who is a son of Emperor Kotoku.
Before he was born, a bog coudpter happened. It called ' Taika-no-kaishin" or " Isshi-no-hen".
In 645, at the age of Kogyoku Empress, Nakano-ohe-no-oji, son of Kogyoku Empress killed a minister, Soga-no-iruka whoes family had a big political power in Yamato(old name). After the revolution, Kogyoku's brother Karu-no-miko who is Arima's father became the next Emperor as Kotoku. Arima was 5 years old. Kotoku wished that foreign countries and Japan came maintaine peace. Nakano-ohe thought Japan must be strong to not be defeated by foreign countries.
One day, Nakano-ohe took off all his servants back to the Asuka palace from Naniwa. Kotoku Emperor lost everything and he fell ill with mental illness. After a while he passed away.
Arima-no Miko grew up into a handsome and clever young man. When people took his rumor, he is suitable to be the next Emperor, Nakano-ohe thought of a plan.
4 years of Saimei(658), Arima-no Miko was murdered at Fujishiro pass. His sin was doubted for conspiracy. He was 19 years old.
There is a small grave at the foot of Fujisiro pass behind the shrine.
After the times have changed, when Jitoh Empress, the daughter of Nakano-ohe visited here, her fellowes made a Manyo Poem.
[Fujishiro no Misaka wo Koyuto shirotae no waga koromode ha nureni keru kamo]. It means that when I passed the Fujishiro Slope, my sleeve of clothes got wet (with tears).
It is said that his true tomb is at Gobo that is called Iwauchi 1st Kohun.
(by Michi A.)

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 「藤白の み坂を超ゆと 白妙の わが衣手は濡れにけるかも」持統天皇が行幸の時、供の者が詠んだ万葉歌です。海南市出身の故打垣内正さんが作曲され、歌碑も譜面です。

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 境内の右手に故雑賀紀光氏宸筆の万葉歌碑が建っています。


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 古道はここから西へ、海を見ながら歩きましょう。


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 紫川です。「むらさき」は万葉歌の名高にかかる枕言葉です。名高とか「有名な」という意味ですが、勿論、海南市名高のことです。村の先という意味もあるそうです。

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  藤白峠の上り口に有間皇子の墓が建っています。この墓は近年になって建てられたもので、元同志社大学の森教授によれば、御坊市の岩内1号墳が有間皇子の墓とのことです。この峠の藤が白いので藤白との説がありますが、藤代の文字もよく使われれています。

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  有間皇子の墓と万葉歌碑が並んでいます。


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  坂道を少し歩くと右手に徳本上人の名号碑があります。


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 万葉時代から日本に咲く花が沢山、咲いています。これはウハギです。


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  藤代峠の丁石仏です。むかし、悪い駕籠かきがいて距離をごまかし、不当な金額をとったので、近くの専念寺の全長住職が一丁ごとに石仏が立てました。怒った駕籠かきが石仏を崖の下に放り投げて無くなっていたのを、近年、地元の有志により復元されました。

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 さあ、ここから登り坂です。


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 自然の景観が残る道が続いています。


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 途中、竹やぶになりました。

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 頂上付近に「硯石」があります。古い時代から藤代炭は質が良いと言われ有名でした。この石は江戸時代に徳川頼宜によって作られた石のレプリカです。近くに筆捨松があります。

 筆捨松
 平安時代の宮廷絵師、巨勢金岡が熊野詣での途中、藤白坂で写生をしていると,ひとりの童子が現れ「どちらが上手いか競争しよう」と言いました。そこで,金岡は,「松に鶯」を、童子は「松に烏」を描きました。金岡が手を打つと鶯が絵から飛び立ちました。童子が手を打つと烏も飛び立ちました。もう一度、童子が手を打つと烏が絵の中に戻りましたが、金岡がもう一度手を打っても鶯は戻りませんでした。
 それで、金岡は悔しがって絵筆を投げ捨ててしまったことから、筆捨松と呼ばれています。童子は熊野権現の化身で、烏は八咫烏であったと言われています。

Fudesutematsu
In the Heian era, there is a court painter,Kosenokanaoka.
One day, when he was drawing picture at Fujishirozaka on the way to Kumano.A boy appeared and said, “Who is better,you or me” So,Kanaoka drew “nightingale on the pinetree.”The boy drew “crow on the pinetree.”
When Kanaoka clapped his hands,the nightingale flew away from the picture.When the boy clapped his hands,the crow also flew away from the picture. Once again,when the boy clapped his hands,the crow returned to the picture,but when Kanaoka clapped his hands once again,the nightingale didn't return.
So, Kanaoka regrets it and threw away his paint brush.
It is called “Fudesutematsu”(fude means paint brush,sute means throw away,and matsu means pinetree.)It is said that the boy was the incarnation of Kumano Gongen deity, and crow was Yatagarasu (symbol of Kumano). (by Michiko Y.)


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 雨にもまけず、ひたすら歩きます。


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 もうすぐ頂上?景色が明るくなってきました。


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 17丁石と18丁石が見当たらないと思ったら、ここに3体が並んでいました。

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 道路が平坦になっています。今度こそ頂上です。


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 和歌山県の4大宝篋印塔といわれる、峠の宝篋印塔です。


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 地蔵峯寺に無事につきました。


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 地蔵峯寺の中の石仏は一枚の岩に刻まれています。


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 寺の左側に塔下王子跡の標識があります。


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 塔下王子です。かなり摩耗しています。右手後方に海岸を見る「御所の芝」があります。残念ながら今回は雨で見晴らすことができませんでしたが。


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 地蔵峯寺で昼食をとり、下山します。少し歩いてすぐ左手の藪の中に古道が続いています、標識を見落とさないように注意しましょう。
 道なき道をかきわけて歩きます。一部、林道と交差しています。


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  阿弥陀寺で「橘本王子」の碑をみて、さらに右手へ(西)へ歩くと副勝寺があります。空海が唐へ渡る前に修行した寺です。
180段の長い階段を上ると、山すそに「裏見の滝」があります。普段は滝の量が少ないのですが、この日は運よく、雨であったので水量が多く、滝を見ることができました。滝の裏を歩いて裏側から見ることができるので「裏見の滝」です。

Fukusyoji Temple

Kukai founded this temple,and it belongs to Koyasan Shingon sect.
The main deity is Senjukannon(a thousand hands-on kannon buddha). The main hall and Gumonji hall are designated as important cultural assets.

ln between the main hall and the mountain,there is a waterfall with the height of 20m and width of 3m. You can see the back side of the waterfall. So,it is said that when the first Kisyu lord, Tokugawa Yorinobu visited there, he named “Urami no taki” ( ura means back, mi means see, and taki means waterfall). ln the rocky caves, the Fudoson statue that Kukai was engraved,Enshrined. You can pass through the back of the waterfall.
In the past, it is said that it was the place for mountain priest training. (by Michiko Y.)


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  賀茂川にかかる木の橋を渡ります。


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 賀茂川に鴨が・・・。


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橋から川沿いに約10分で、橘本神社があります。ここは所坂王子跡でもあります。

After about 10 minutes walk from the bridge, there is Tachibana-shrine. Tokorozaka-Oji ruin also locates here.


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 橘本神社に着きました。
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 橘本神社の境内に「所坂王子」があります。
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  橘本神社は、垂仁天皇の命を受け(紀元60年頃)、橘の木を、南アジアから持ち帰りここに移植したと云われる 田道間守(たじまもり)を祀っています。田道間守(たじまもり)は、柑橘と菓子つくりの祖と云われ、菓子職人の信仰を集めています。

  Tachibana-shrine was set up in memory of Tajima-mori, who is believed to bring green citrus (Tachibana tree) from South
Asia to Japan, after a long searcing journey by the order of Suijin emperor (about A.D. 60). Tajima-mori is believed to be an
originator of Japanese cakes made of the local yam, in addition to green citrus cultivation.
Many cake makers visit here for the confectionary festival every year. (by H.S. )
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 橘の木に青い実がついています。
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 橘本神社から川沿いの道を歩いて、山路王子神社へ。


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 階段を上った所に山路王子神社の社殿があります。赤ちゃんが相撲をとる?丈夫に育つようにと、願いを込めた「泣き相撲」が有名です。


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 山路王子神社から拝の峠を上ります。這いながら登るので這いの峠、との説もあります。登り坂が続いています。この標識を見て左折。このコース最後のしんどい坂道です。


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 やっと、頂上へ着きました。古道はここから蕪坂を越えて有田市宮原へ向かいます。途中、右折すれば長保寺を通って下津駅へ。


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 万葉歌碑が立っています。


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尾根道を歩いて蕪坂王子です。


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 ここにも万葉歌碑があります。


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 雨が止み、周囲が少し明るくなってきました。遠くの景色が見えています。


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 有田市の民家の屋根が見えます。


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 急な坂道を下っていくと、社があります。太刀の宮です。

 太刀の宮 Tachi no miya :the shrine of sword

  宮崎定直は約400年前に真田幸村に抜擢されました。彼は1614年の「大坂冬の陣」で徳川家康と戦い、破れました。彼は故郷の有田・宮崎に逃れました。
  伝説によれば、彼は小さな神社にたどり着いて眠ってしまいました。多数の追っ手が取り囲んで襲ってきました。彼は動くことができませんでしたが、彼の刀が独りでに戦い、追っ手をすべて殺しました。刀は2つに折れましたが、彼が拾い上げると元にもどりました。以後、ここは「太刀の宮」と呼ばれています。
彼はとても有能な武士だったので、追っ手の気配を感じとり、人形を寝かせて待ち伏せをしたのだと思います。

  Miyazaki Sadanao was head hunted by Sanada Yukimura about 400 years ago.He fought "Osaka-Fuyu-no-Jin" the winter battle in 1614 and lost to Tokugawa Ieyasu. He escaped to his home village Miyazaki, Arida district in Wakayama.
 Legend said, he arrived at the small shrine and slept there. Many pursuers surrounded and attacked him. He could not move, but his sword fought by itself and killed all the pursuers. His sword was broke in two. He picked it up and the sword recovered. Since then people called this shrine "Tachi-no-miya", the shrine of sword. 
I guess he was a very skilled warrior, so he thought pursuers were comming and ambushed then using his sleeping dummy. (by Yasuo H.)


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 蜜柑畑の中の坂道を下ると広い道路にでました。道路の左側に山口王子があります。
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 山口王子跡の碑が立っています。
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 伏原の墓です。古代、熊野古道に出る旅人は、行き倒れになった場合に備えて、着物の衿に葬儀のためのお金を縫い込んでいたそうです。死を覚悟しての旅だったのですね。
 古道はここから有田川を越えて糸賀峠へ向かっています。
 私たちはJRきい宮原駅まで歩きました。

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by wakayamakiga | 2018-10-05 20:05 | Kii route /紀伊路 | Comments(0)

Ohechi route-3 From Ago to Susami / 大辺路ー3 安居~仏坂~周参見王子へ

 9月20日(木)、朝からあいにくの雨でしたが、KIGAのメンバー13名が紀伊路の仏坂越えの道を歩きました。 午前9時、「安居の渡し場」へ。

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  山間の景色に木造船がとてもよく似合います。


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  「安居の渡し」の標識が立っています。


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  「渡し舟」に乗りました。小雨の中、周辺は霧がかかり、とても良い雰囲気です。
  
  安居の渡し
  安居の渡しは熊野古道大辺路の富田坂を下った安居の集落から仏坂、日置川を渡る渡し船です。大辺路街道では唯一、舟で渡る熊野古道です。川幅30m程。昔は今の倍ほどあり、かなりの水量だったといいます。
   
   往時より渡し船が往来していた場所であり、江戸時代には紀州藩主や京都から三宝院門跡が大勢の随行者を連れて通る際は、川に船を並べて、舟橋を架けていました。
   この渡しは昭和29年9月に廃止されましたが、平成17年に地元の人々の手によって「大辺路安居の渡し保存会」が結成され、昔ながらの渡し船が復活し、当時の風情を伝えています。

  電話予約 0739-53-0194(平日9:00~15:00 利用日の3日前迄に)
  料金   1人 500円

   
   Ago no Watashi Ferry 【World Heritage】

   Ferries have crossed back and forth here since old times. In the Edo Period, when feudal lord from the state of Kii (Wakayama) and Sanpouin Monzeki from Kyoto crossed with their many attendants, ferry boats were arranged side by side to form a bridge. 
   Though the ferry service here was discontinued in 1954, it was rivived in 2005 by local residents through the formation of the Ohechi Ago Ferry Preservation Association. It is continued today in the same aesthetic as in old times.(Yumiko.S)

  Reservation required Tel: 0739-53-0194 500 yen per person 


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  渡し場から約1km、急な登り坂が続いています。山頂付近は道幅が狭くなっています。滑らないように気を付けて歩きましょう。



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    道標を見て、道路は左に曲がります。


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   桂松跡です。ここまでの標高差180m、ここから頂上の「茶屋跡」まで約200mです。
桂松跡:  江戸時代紀行文中に見られ、古くから知られていたようである。 1,689年の"紀南郷導紀"に"カツラ松の坂”、そして寛政年間の"熊野巡覧紀"には、"峠に桂松有り”としています。 また"熊野街道沿村取調私記”では、”カツラ松、一里塚松の山”と記されました。和歌山から25里(約100 km)の距離です。 桂松の名は、その上部がカツラをかぶったような形をしていたのでそう呼ばれました。

   Vestige of Katsura Pine: The name of "Katsura Pine" was seen in travelogues from the Edo Period and it had been known for some time. "Kinan Kyoudouki "in 1689 mentions "Katsura Pine Slope" and Kumano Junranki" in the Kansei era notes
"Katsura Pine Pass". In one personal account of villages along Kumano highway, Kumanokaido Torishirabe Shiki, Katsura Pine
was regarded as a milestone. It is a distance of 25 ri from Wakayama city. (about 100 km)It was so called because the upper part of its pine tree was shaped like a wig. (by T.S)
 

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  「仏坂の茶屋跡」に着きました。ここから尾根道を少し歩き、下り坂となります。
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   急斜面の山道です。


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   林道へでました。林道と交差しています。

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  道路の向こう側に古道が続いています。今はこの道は熊野古道として勧められていませんが、歩いてみることにします。

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  古い時代、電線をつないだ器具です。かつて、この道は幹線道路であったことを知ることができます。

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  石畳の道が続いています。古道らしい雰囲気があり、足に柔らかく歩きやすい道です。

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  大辺路、仏坂No30と書かれた道標があります。少し前まで、この道が熊野街道であったことを知ることができます。

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  とても歩きやすい尾根道です。でも、この先から道路は歩けなくなっています。土砂崩れがあったのでしょうか?
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  やむを得ず林道まで引き返しました。一日も早い道路の復興を願っています。 



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  林道を下村に向かって歩きます。途中、珍しい木があり花を咲かせていました。


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  下村に着く頃には雨が本降りになってきたので、雨宿りできる所を探しました。橋の下?でも、そこに13人は無理でしょう! 運よく、下村の集会所らしき建物が目に入りました。その建物の軒下を借りることにしました。今日はここでランチタイムとします。



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  下村から222号線を南に向かって歩きます。雨の中、彼岸花の赤い色が鮮やかです。


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  山間の道沿いに山野草がたくさん咲いています。
 

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   太間川に沿って歩きましょう。

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 道路脇に小さな石仏が祀られています。よく見れば足で鬼を踏んづけています。

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 見上げれば岩のくぼみに大きな蜂の巣がありました。

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   地主神社
   入谷橋の手前を左に入ると地主(じぬし・じのし)神社があります。倭国が成立する前の時代から、人々は大きな樹や巨岩や滝などをご神体として祀り、崇拝してきました。ここは入谷地区の神社として古くから祀られきました。巨岩と森をご神体といているので、社はありません。
Beside Iritani-bridge, you can find Jinoshi-shrine, which enshrines a big stone and the surrounding forest.
There is no Torii-gate nor shrine building which are typical features of Japanese shrine. Jinoshi-shrine preserves a primitive style of nature worship by the local people. (by H.S)
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    振り返れば大きな岩がありました。The big rocks above Jinoshi-shrine.
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  太間川に架かる堀切橋を右手に見て左折、JRの踏切を渡り右折します。周参見王子神社です。地主神社から約3,5km。  
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  安養山萬福寺
  周参見川に架かる遠見橋を渡り、周参見の集落に入ります。小学校の前を通り、周参見町役場、郵便局が並んでいます。狭い路地を入ると萬福寺です。
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  六地蔵が並んでいます。六地蔵は俗界から聖域に入る入口、あるいは現生から来世に入る入口に祀られています。人が住む迷いの世界、それぞれ地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天を現すと言われています。
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 臨済宗
  日本臨済宗は鎌倉時代から室町時代中期にかけて中国に宋と元の中国禅を受け入れ日本化しました。江戸時代の元和・寛永(1615年-1544年)のころ、明朝の動乱から逃れた多くの中国人、華僑が長崎に渡来し在住。長崎三寺(興福寺、福済寺、崇福寺)が建てられ、多くの明僧も招かれていました。 
 臨済宗と黄檗宗 
  黄檗宗は1654年、隠元隆き により始まりました。当初は臨済正宗や臨済禅宗黄檗派を名乗っていましたが、明治7年(1874)、明治政府教部省が禅宗を臨済、曹洞の二派と定めたため、強引に臨済宗黄檗派に改称させられました。その後、明治9年(1876)、黄檗宗として正式に禅宗として独立することとなりました。教義、修行、儀礼、布教は日本臨済宗とかわらないとされています。  
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by wakayamakiga | 2018-09-23 23:13 | Ohechi route 大辺路 | Comments(0)

熊野古道歩こう会9月のご案内

台風21号が和歌山県北部を襲い、各地で停電や断水などが続いています。私の家も車庫の壁が飛ばされ、車が使えないほど破損しましたが、身体だけは元気なので、良かったと思っています。被害にあわれた皆さん、頑張って復帰していただきたいです。

KIGAの熊野古道歩こう会、9月のご案内です。
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9月6日の紀伊路ー③伊太祁曽~藤代王子神社への予定は、台風でJRきのくに線が運休のため、延期となりました。

歴史と英語ガイド研修会は9月13日(木)、27日(木)13:30~16:30まで、和歌山市三木町堀詰30番地、BMCで実施します。( 参加費2000円(月2回))

●熊野古道・大辺路ー③
仏坂・白浜町 安居の渡し~周参見へ
【日時】 9月20日(木)AM6:40
【集合】 JR和歌山駅 
【コース予定】JR和歌山駅⇒(レンタカーで移動します。)⇒安居の渡し⇒桂松跡⇒仏坂の茶屋跡⇒地主神社⇒太子堂⇒周参見王子⇒萬福寺⇒周参見駅(約10,8km。標高差20m)
【参加費】500円+交通費実費(レンタカー代金+高速料を参加者で分担します)
【持ち物】 お弁当、飲料、タオル、雨具、杖、着替えのシャツ、保険証など。
※貸切バス、保険加入は申込が25名以上の場合とさせていただきます。お早い目に申込ください。
【連絡先】 KIGA 熊野・高野国際語り部の会
 ℡・fax 073-478-2711
 携帯電話 090-2062-7778
 e-mail kiga@silk.plala.or.jp




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by wakayamakiga | 2018-09-11 21:24 | Information/ウオーク案内 | Comments(0)

Ohechi route -2 Tonda-zaka /大辺路ー2 富田坂超えの道

  今年の夏の暑さは異常です。各地で37度~39度を超し、熱中症患者が続出しています。
  7月26日(木)、KIGAのメンバー6名が熊野古道の大辺路の、富田坂を超えて安居へ歩きました。
 The hot days continue. The summer heat in this year is abnormal. Recorded 37~39degrees Celsius in various places and many people became heat stroke patients.
On Thursday, 26th six members of KIGA walked to Atagi beyond Tonda-zaka(slope) in Kumano Kodo(ancient road to Kumano).

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 紀伊富田駅から東へ向かい、富田橋を渡ります。右折し南へ、42号線と並行する古道を約20分歩くと高瀬川が見えてきます。高瀬橋を渡り、右折すると草堂寺へ。左折すると飛鳥神社です。まずは飛鳥神社へ行きます。

Let's go to east from kii Tonda station, cross the Tonda-bashi(bridge). Turn to right and walking along the ancient road parallel to line 42, you will see the Takase River. If you turn to right, you will go to Sodoji temple, as you turn to left, Asuka Jinjya (shrine) is built there.  First of all, will you go to Asuka Shrine?

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飛鳥神社の鳥居です  This is Torii Gate to Asuka Shrine.


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石段を上ると小さな社があります。
As you go up the stone steps, there is a small shrine.

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祠の右の方に石像があります。役行者(役小角とも)のようです。
There is a stone statue on the right side of the Shrine. It seems En-no-gyoujya(en-no-ozunu).

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  かつて、大辺路は修験道者たちの修験の場でした。
Once, Kohechi Road was a place for the Buddhist priests who train themselves by enduring ascetic practices.

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  大辺路は田辺と浜の宮(那智勝浦町)をむすぶ海岸沿いの道で、約94kmの距離があります。浜の宮で山中を通ってきた中辺路と合流し、さらに海岸沿いに進めば、新宮から熊野川を渡り、伊勢路へと続きます。大辺路は紀伊半島をぐるりと周る壮大な街道です。

  大辺路は中辺路、小辺路と同じように熊野へと続く参詣の道でした。けれども中世の上皇や女院の熊野御幸はほとんど中辺路を通りました。また、蟻の熊野詣でと言われるほど、多くの大衆の参詣も殆どが中辺路を通りました。

  Ohechi route is a road along the coast tying Tanabe and Hamanomiya(Nachikatuura-cho), which is about 94km away. The road join the Nakahechi route that passed through the mountains at Hamanomiya, and further along the coast, cross the Kumano River from Shingu, Continue to Ise Road. Ohechi is a magnificent way that goes round the Kii Peninsula.

Ohechi route goes on Kumano like as Nakahechi route. However, many Joko(retired Emperor) and Inn(woman's royal famiry) passed through Nakahechi mostly. In addition, most of th massavres of people who were said “ to visit ants to Kumano” went through Nakahechi way.(Michi A)
  

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草堂寺 Sodoji Temple

  この寺は平成28年世界遺産追加登録された熊野古道大辺地富田坂の入口に建っています。芦雪寺とも呼ばれ、丸山応挙・長澤芦雪筆の屏風5隻・障壁画71面(国重文)等があります。当寺5世住持・持棠陰と親交があった応挙が、本堂の建立に際し、高弟 芦雪を自らの作品と共に、送りこんだ結果、残されたものです。

  From JR Tonda station, you pass Tonda bridge and walk south for 1.5km, you come to Sodoji-temple. This is an entrance of Tonda-saka (slope) which was additionally registered as World Heritage in 2017. The temple is also called as Rosetsu-temple, because here are some paintings painted by Rosetsu and Okyo who were very famous painters in Edo era and those paintings are designated as Japanese important cultural property.  
  When you see the temple , you will be surprised to see spectacular stone walls which are like ones of a castle. 
  You walk up a slope along the south stone wall of the temple to Tonda-saka (slope). (Yumiko S.)
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熊野古道・富田坂は草堂寺の城壁を思わせるような石垣の脇を上ります。
The Tonda-saka path starts at the steps beside stone wall like castle bank.

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 一里松あと There was a mound of the mile pine tree, Ichiri-matsu.
  

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 急な坂道を上ると平坦な道にでます。ここから少し歩くと、七曲りといわれる急坂が待っているのです。
After a short uphill walk, a plain path about 20 minutes walk, then another uphill walk called Seven Winding paths.

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 馬谷城あとの標識があります。
Umatani castle ruins is located in the hill along the path after Ichiri-matsu. The ruins protected by sand bank is thought to be
built in the Middle Ages (15~16C) by the local clan Atagi who ruled this area. The notice explains about the findings of the
excavation. (by H. S)

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桜島・姶良火山灰層: 富田坂から日置川の支流である三ヶ川に沿って”安居の渡し”に向かって林道を下っていきます。 途中で珍しい火山灰層が見られます。 温泉の多い紀伊半島ですが、不思議と火山は、ありません。 遠く離れた霧島火山帯の桜島は、過去5,000回以上も爆発を繰り返しています。 今から22,000年前に大爆発を起こし、九州全土に火山灰が降り積もりシラス台地を形成しました。  
大量の火山灰は、約500km離れた紀伊半島まで偏西風に乗って運ばれ降り積もりました。 現在、これが、地層として見られます。

Sakurajima & Aira volcano ash layer: From Tondazaka, going down the forest road along the river toward "Ago no watashi"
which is a tributary of Hikigawa river . The Aira volcanic ash layer from Sakurajima in Kyushu , southern part of Japan can be seen. There're lots of hot springs in Kii peninsula , but strange to say, there's no volcano. Sakurajima is about 500 kms away from here.
It exploded more than 5,000 times in the past. 22,000 years ago, it had the biggest explosion. And whole of Kyushu was
covered with volcanic ashes. As the result of this, Shirasu plateau was formed. A large amount of volcanic blown up into the air was carried away by westerly wind and was arrived in Kii peninsula. That's why it can be seen here. (by T. S)

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by wakayamakiga | 2018-08-05 17:59 | Ohechi route 大辺路 | Comments(0)

熊野古道歩こう会 7月~9月のご案内

 KIGAでは熊野古道や高野山など、和歌山県の歴史の道を歩きます。参加者募集中。
 四季おりおりに変わる古道の風景を楽しみませんか?
 8月は少し予定が変更となっています。
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熊野古道・大辺路ー② 富田坂を歩く きい富田駅~安居へ
:日 時 7月26日(木)AM 6:40
: 集 合 JR和歌山駅 (レンタルカーで移動します。)先着17名。要予約。
【コース予定】和歌山駅➡紀伊富田駅➡飛鳥神社➡草道寺➡一里松➡馬谷城跡➡林道終点➡峠の茶屋跡➡安居辻松峠➡祝の滝➡三ケ川梵字塔➡桟ケ川バス停(約13,5km。標高差400m)


熊野古道・紀伊路-③ 伊太祈曽~藤白王子権現へ
:日時 9月6日(木)AM8:30 (JR和歌山駅 7:51発→伊太祁曽駅 8:10着が便利です)
:集合 貴志川線 伊太祈曽駅
【コース予定】 伊太祁曽駅➡奈久智王子➡武内宿祢誕生の井戸➡薬王寺➡四つ石地蔵➡松阪王子➡岩代王子➡春日神社➡菩提房王子➡日限地蔵➡祓戸王子➡熊野一の鳥居➡藤代神社➡海南駅 (約11km。標高差なし。)

※参加人数により、レンタカー又はバスを利用する場合があります。お申込みはお早い目にお願いします。
※貸切バス、保険加入は申込が30名以上の場合とさせていただきます。

【参加費】500円+交通費実費 
:持ち物 お弁当、飲料、タオル、雨具、杖、保険証、着替えのシャツなど。
*当日の朝6時現在で警報が出た場合は延期とさせていただきます。

KIGA 熊野・高野国際語り部の会   
【申込・連絡先】〒640-0302 和歌山市永山83-5 東 道
℡ 073-478-2711 / 090-9704-7786
E-mail kiga@silk.plala.or.jp
http://wakigaaris.exblog.jp/ http://ariskiga.exblog.jp/

2018年度 熊野・高野 和英ガイド研修会 受講生募集!

*教室 (第2・第4木曜日)13時~15時 熊野の歴史(担当 東 道)

15時30分~16時30分 (ネイティブ講師)
※7月は第3木曜日、19日(木)です。8月はお休みさせていただきます。
【会場】和歌山市三木町30番地 BMC/参加費(月額)2000円

*現地ウオーク(第1・第3木曜日) 参加費500円(資料代など1回分)

  

 






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by wakayamakiga | 2018-06-22 21:00 | Information/ウオーク案内 | Comments(0)

熊野古道歩こう会 9月からの予定 Kumano road walking party information of June

 KIGA 熊野古道歩こう会9月からの予定です。
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by wakayamakiga | 2018-06-20 21:28 | Information/ウオーク案内 | Comments(0)

Kii Route-2 From Hoshiya to Itakiso Shrine 紀伊路ー2布施屋~伊太祁曽神社へ

紀伊路を歩こう! 布施屋~伊太祁曽へ
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  最近よく降ります。 今年は例年より早い梅雨入りだそうです。それでもKIGAのウオークの日はいつも晴れています。今日も雨があがりました。6月7日(木)午前8時30分。JR和歌山線の布施屋駅集合です。ここから線路わきの道を東に向かって歩きます。
  
It has been raining recently. The TV reports the Tsuyu(rainy) season has come earlier than usual this year. However, the day of KIGA's walk is always sunny and it stopped raining today. On Thursday June 7th at 8:30am, we started at Hoshiya station on the JR Wakayama line and we walked to the east side along the track.

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 道路わきに初夏を告げる白い花が!! 山法師です。白い部分は花ではなくて苞です。
White flowers are telling us early summer has come. It is Yamaboshi, white parts are not flowers but bracts.


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 吐前王子(はんざきおうじ)
 布施屋駅からJRの線路沿いに東へ約1kmほど歩き、線路を超えて右折、南へ数百メートルほど歩くと田圃の中に木の茂った台地が見えます。その中に地蔵尊らしき石の破片が積み上げられています。古道周辺の地蔵尊や石仏が集められたと思われます。
 紀の川は和泉国から山を越えてきた旅人が初めて出会う川越えです。当時は川の堤防もなく、紀の川の水で身体を濡らしながら歩くことで、心も身体も、清められると信じていました。水量が少ない所は歩いて川を渡りました。
 熊野参詣者たちが紀の川渡る渡し場は2か所あったと想定できます。一つは田井ノ瀬橋付近で、もう一つは川辺橋付近でした。吐前から渡し船が出ていました。

From Hoshiya station walking about 1km east along JR railway line, turn right, cross the railway and let's walk about a handred meters south. you can see the plateaus growing wooden in the rice fields. Some stones such as Jizo Buddha and Hokyo-in-to are stacked in one place. It is thought that Jizo statues and stone Budhist statues around Kumano-Kodo road were gathered here.

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 資料によれば、737番地が吐前王子跡です。近年まで王子権現の祠あり・・・小祠があったが明治43年小倉神社に合祀、明治44年11月10日、個人に払い下げられ、今は702番地の田の中になっていると。また732番地には「堂宇があったが嘉永年間(1848~1855)暴雨にて倒れる。明治45年、光恩寺無償譲与を受く、今蜜柑。」との記載があります。明治の神社合祀令の折、当地の宮本市太郎さんに払い下げられたとのことです。

According to the data, adress 733 is Hanzaki Oji region. Untill recently there was a small shrine, but in Meiji 43, Hanzaki Oji's deity was moved to Ogura-Jinjya Shrine. In November of Meiji era, the land was paid to private people, now it is inside the field of the 702 address. In addition, there was a temple hall at 732 address,but in Kaei years(1848~1855) it felled down by rainstorm.
In Meiji 45(1912 ), Koonji Temple was handed over free of charge, but now it became a orange field. It is written in the regional record.


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 今は周辺は田圃となり、当時の吐前王子を偲ぶものは何もありませんが。 折しも田植えの季節です。高積山を背景に、わずかに吐前王子を偲ばせる丘が水面に映り、日本の初夏ですね。

Now the surroundings are rice paddis, there is noting to remamber the Oji at that tome. Also now it is the rice planting season. A hill riminiscent of Hanzaki Oji on the background of Takazushi mountain is reflected on the surfece of water, it is early summer in japan.
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 少し離れた道路に説明板があります。ここから古道は南へ向かいます。民家の前を通り、2つ目の路地を右折し西へ、しばらく民家が並ぶ路地を歩きます。
There is an explanation boad on the road a little away. From here the ancient road head south. Walk to south in front of some private houses,and turn right at the second crossing and walk to the west, and walk down the road where the private houses lined up for a while.



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 昭和の雰囲気のある路地を800mほど歩き右折すると、布施屋駅にほど近い三差路に川端王子があります。布施屋の地名はかつて、紀の川を渡ってきた熊野参詣者たちに食べ物や金銭などの布施を行った屋があったことが由来です。

When walking about 800m on the alley with the ambience of Showa era, turn right , there is Kawabata Oji at the intersection near Hoshiya Station. The place name of Hosihiya originated from the fact that there was a house that gave foods and money etc. to the Kumano pilgrims who crossed the Kinokawa River


 川端王子
 川端王子ははじめ、もう少し西にありましたが、明治時代に高積山に遷されました。けれども戦時中、神社へ参拝の行事が多く、高い山の上にあるのは不便なので、旧王子社跡に遥拝所として建てられたのが今の川端王子です。
 江戸時代の『寛文記』によれば「和佐王子二社、一つは坂本にあり、一つは川端にあり」と記載されてます。
 

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 川端王子からふたたび民家の並ぶ道にもどり、さらに西へ歩くと、熊野古道の標識が見えます。左折すれは熊野古道ですが、右に200mの所に小栗橋があるのでぜひ見ていってください。

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  小栗判官(おぐりはんがん)
 小栗橋の標識が建っています。中世の小栗判官伝説は、熊野古道だけでなく、常陸(ひたち)、相模(さがみ)、藤沢、美濃そして熊野の各地に伝わっています。
 小栗判官がいつの時代に生きたのか、またどこの国のどのような人物なのかについては「鎌倉大草紙」「小栗実記」「小栗略縁起」「小栗絵巻」(説教えおぐり)など多くの書物に書かれています。その内容も少しずつ変容しながら室町、江戸時代へと語り広められたようです。  
 江戸時代には芸能文化の世界でも活躍し、説教語りや浄瑠璃、歌舞伎などで民衆に大変な人気を博しました。

There is a sign board of Oguri Bridge.
From th Middle Ages, the legend of Oguri Hangan story is transmitted not only Kumano Kodo road but also to various parts of Hitachi(Ibaragi Prefecture.).Sagami( Kanagawa Prefecture.),Fujisawa(Kanagawa Prefecture.), Mino(Gifu Prefecture.) and Kishu(Wakayama Prefecture.)
As that which time Oguri lived and what kind of person in what country, it is written in “Kamakura-dai-soshi","Oguri-jikki","Oguri-ryakuenki","Oguri-emaki"(Sekko Oguri).
It seems that contents were also transformed gradually and spread in the Muromachi and Edo period, ant it seems that it was disseminated.
In the Edo era the Oguri Hangan story was also in the world of performing arts culture and it gained great popularitry among people in preaching talks, Joruri and Kabuki.

 以下、安井理夫氏の『小栗判官ものがたり』(小栗判官物語設立までの経緯)より抜粋させていただきます。
 「・・・・『鎌倉大草紙』によれば応永30年(1423)、小栗満重、助重親子は足利尊氏と戦い、小栗城は落城。その後、助重は悲願の小栗家(小栗城)を再興をはたすも、康正元年(1455)年、足利尊氏に攻められ再び城を明け渡す。これらの史実をもとに物語は構成されている。

Mr.Satoh Yasui who live in Yunomine Hot springs Kumano Hongu wrote a book called "Oguri Hangan Monogatari(story)" several years ago.
According to "Kamakura dai-soshi", Ouei 30 years (1423 ad), Mitsushige Oguri and his son Sukeshige Oguri fought against Motiuji Ashikaga. Oguri castle felll. After that, although they rebuilds the Oguri family(Oguri Castle), it has attacked by Motiujii Ashikaga in the Kosei 1st year (1455ad) again to surrended the castle. Based on these historical facts, stories are composed.

 『小栗実記』では、小栗満重が足利尊氏との戦いに敗れ落城。その子助重(小栗判官)は三河の国をめざして落ち延びる途次、相模の国の権現堂の「吉郎が館」に投宿するが、横山一族の謀略で毒酒を飲まされ殺害されようとするも、これを察知した照手の機転により一命をとりとめる。小栗は藤沢に逃れ遊行上人たちの助けをうけるが、口に含んだ毒酒の害で重病人となる。一方、照手も流浪の実となり苦難に満ちた日々を送っていたが、家臣の助けで小栗との再会がかなう。しかし、小栗の病は意外に重く、照手の強い意志で治療のため歩行もかなわぬ小栗を土車にのせ、人の助けを頼りに熊野湯峰をめざしての道行となる。
 熊野権現の霊験と湯峰での当時が奇跡をよび、本復が叶い元の小栗助重となる。二人はその後、幸せな暮らしを取り戻した。

In "Oguri Jiki" , Oguri Mitshishige lost the battle with Mitusige Ashikaga and the castle fallen. His son Sukeshige(Oguri Hangan) fell to the Mikawa-no-kuni. On the way to Mikawa he stayed at Sagami's Gongendo, "Yosiro-ga-yakata" .At that time the Yokoyama clan tried to kill him by a poisonous liquor. However, Yokoyama's daughter Terute knew about it and helped him, he survived the plot.
Although Oguri escaped to Fujisawa and was helped by monks, but he became a seriously ill due to the harm of poisonous liquor contained in his mouth.
 Also,Terute was banished from her father and had spend hard days. With the help of Oguri's contact, she was able to meet him again. However Oguri was surprisingly seriously ill. With her strong will, Oguri who could not even walk ,Terute had put him on a Tuchi-guruma(a small cart that carried soil ). Oguri and Terute were aiming to go to Yunomine Hotsprings by depending other people's help.


この物語が500年の歴史を重ね、室町、江戸、そして平成の世まで長きにわたり熊野信仰とともに語り伝えられてきた。・・・この物語がこれほどまで各地に流布し、長い年月人々に愛されてきた要因は何だったのだろうか。物語の根底にあるものが人の生き様、生と死、今世と来世または死後の不安など神仏との関わりを切り離しては考えられないだろう。」

 小栗判官物語は時宗の一遍上人たちが、そして熊野比丘たちによって、熊野信仰とともに、全国各地に伝えられました。

This story is over 500 years old and has been told through the Muromachi, Edo and Heisei era long together with Kumano Faith. The factor is this story has spread to so many places so far and has been loved by people for many years.
What underlies the story is to question the way people live. It can not be thought of separating the relationship between God and Buddha, such as life and death of the people, this world and the afterlife or anxiety after death.

The story of Oguri was conveyed to various parts of Japan with Kumano Faith by Ippenshonin who is the founder of Ji Sect Sect of Buddhism, and monks as well as Kumano Bikuni(woman evangelist)
. .
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  紀の川は時代の経過とともにその流れを変え、川幅も変わってきました。かつてはこの辺りまで紀の川が広がっていたのでしょうか? ここはもと川端王子があった場所と推測することができます。
 いまはこのように川幅はせまく、往時の川の流れの様子を知ることは難しいですが。

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 小栗橋をあとにし、熊野古道に戻ります。稲が植えられたばかりの田圃はまるで鏡のように山の景色を映しだしています。国道を超えて少し歩き、川の手前で右折しましょう。

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 川に沿った路地の三差路に地蔵尊をまつる社が建っています。

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 お地蔵尊の手前を左折し、川の左岸を歩きます。

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 左側に中筋家の屋敷が見えたら、その手間の道を高積山に向かってあるきます。

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 高積山の麓に高積神社があります。

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 高積神社 / Takatsumi Shrine
  古道は高積山の麓をまわり矢田峠へと続いています。古道からそれて、旧中筋邸の手前の細い道を東へ入ると、山の麓に高積神社,「下の宮」があります。本殿は後方の山の頂上(235m)に鎮座、「高山」の地にあることから、「高の宮」の名で呼ばれています。古くから参詣者が絶えなかったので、麓に遥拝所があり、「下の宮」として親しまれてきました。
  主祭神は都麻津比売命(つまつひめのみこと)、五十猛命(いたけるのみこと)、大屋津比売命(おおやつひめのみこと)の三兄弟で、日本神話に登場する天照大神の弟、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子神とされています。文武天皇の大宝二年(702)三神分祀の勅令によって、都麻津比売命はここ高積に、五十猛命は伊太祁曽神社に、大屋津比売命は川永宇田森に祀られることになりました。三神分祀ですが主祭神に津麻津比売命を祀り、両側に他の二神を祀っていることから、高三所大明神とも称えられてきました。

 The Kumano ancient road leads to Yata pass along the foot of Mt. Takatsumi. Turn left toward the mountain, and you come to Takatsumi shrine . A main shrine stands on top of Mt. Takatsumi(235m). From ancient times many people have come to pray here, so there stands a shrine on the foot of the moutain to bow to the direction of the upper shrine.

The main deities are Tsumatsuhime-no-mikoto and Itakeru-no-mikoto and Ooyatsuhime-no-mikoto. They are siblings and their father is Susanoo-no-mikoto, a brother of Amaterasu-no-mikoto in Japanese mythology. In 702 A.D. the three deites were seperated by an Imperial order. Tsumatsuhime-no-mikoto stayed here in Takatsumi , Itakeru-no-mikoto moved to Idakiso, and Ooyatsuhime-no-mikoto moved to Kawanaga-udanomori. But the three deites are ensrined together here now.

 Tsumatsuhime-no-mikoto is the main deity here, and enshrined in the center and the other deites are beside her. So this shrine has been named as "Taka-sanjo-myojin" , three deites on a high place.(Y.S.)


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 高積山をあとに古道に戻ります。右手に江戸時代の遺構を保つ大庄屋中筋家住宅(重要文化財)が見えます。乳門を保つ長屋門と広い前庭、母屋があり、周囲に土堀を巡らせて囲っています。 中筋家は苗字帯刀を許された名家でした。この辺りは和佐大路とよばれ、かつての熊野古道が盛んであった頃の雰囲気を今に伝えています。

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 県道と並行して民家の並ぶ道を歩きます。道沿いに地蔵尊が祀られていました。古道は和佐王子のあたりから右手(南)に続いていますが、今は草藪となっているので、県道を歩くことにしましょう。

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 和佐王子

 道路は少し登り坂となります。道路の左がわにコンクリートの休憩所があり、その中に緑泥片岩の古い石碑が建ち、和佐王子の文字が刻まれています。2007年までここは蜜柑畑でした。建仁元年(1201)の『後鳥羽院熊野御幸記』に記載があり、寛文年間(江戸時代)にはなくなっています。『神社神明帖』によれば、この王子の境内は428坪(1412㎡)の広さがあり、参道や社の森もあったと伝えています。『紀伊続風土記』によれば天保の頃(1830~43)には社殿を失っていましたが、明治時代に再び社殿が建てられ和佐王子を祭神として祀ったと記載があります。明治42年、同地の高積神社に合祀、社地は民間に払いさげられました。
 
 和佐大八郎の墓 
 和佐王子の前方、左手の士持(じし)山は、地元では大八山で知られています。山の入口付近に和佐家の墓があり、紀州藩弓術指南役和佐大八郎(1663~1713)とその一族の墓があります。

大八郎は幼い頃から弓術を学び、ずば抜けた体格と優れた能力をもっていました。
 貞享3年(1686)、京都三十三間堂の 本堂西側の軒下(121m)で24時間、南から北へ弓を射とおす句扇が行われました。
 彼は13,053本中、8133本を射とおし、日本一記録を野作ったのです。紀州藩主の徳川光貞が彼を紀の川まで出迎えたという逸話が残っています。この記録はいまだに誰も破っていません。

Wasa Daihatiro's grave
In the vicinity of the entrance of the mountain on the north side of prefectural road, there is the grave of Wasa Daihachiro of the Kishu Clan Archery Guidance.
Daihachiro had learned archery since childhood,showing superb physique and excellent talent.

In the Jyoukyo 3 years(1686A.D.),there was a competition at Sanjusangendo temple in Kyoto,which was held at the eaves of the main hall of the west side(121m long),and shot through the arrow from the south to the north day and night.

He shot through 8,133 arrows out of 13,053 arrows,and made a record. There remains an anecdote that Mitsusada Tokugawa,the lord of the Kishu Clan,welcomed him to the Kinokawa river.
This record is still not broken. (M.Y.)



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 矢田峠超え
  古道は和佐王子の手前の道を南にとり、畑の中を通り、矢田峠のトンネルの手前に続いています。近年、道が整備され、一部コンクリーリ化されましたが、トンネルの前の狭い道は大変急な登り坂です。登りはじめて数メートルの所、左手に小さな祠があり、役行者像が祀らています。

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  徳本上人の名号碑


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 丹生神社


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 丹生神社


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 丹生神社の前の池


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  伝法院


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 平尾集落


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平緒王子跡 : 和佐王子から矢田峠を越えてしばらく南へ進むと平緒王子に着きます。 この王子社は、1,585年に羽柴秀吉の紀州攻めで衰退したと言われます。  その後再建されて”平緒王子社”と呼ばれました。 1,908年に都麻津比売神社に合祀されました。  
現在跡地には、平尾地区の自治会館があります。

Hirao Oji : From Wasa Oji, walking down to the south across Yata mountain pass, you will reach Hirao Oji. It's said this Oji
declined by the Kishu attack of powerful commander, Hideyoshi Hashiba in 1585. After that , it was rebuilt and called
Hirao Oji. In 1908, it was enshrined in Tomatsuhime Shrine. There's a neighborhood meeting building of Hirao district on its
site now. (by T. S)
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 平緒の都麻津比売神社跡


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都麻津姫神社跡
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今日の参加者17名で記念撮影です。このあと、伊太祁曾神社へ向かいました。


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伊太祁曽神社の鳥居


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伊太祁曽神社


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宮司さんのからお話お聞きしました。


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by wakayamakiga | 2018-06-08 14:30 | Kii route /紀伊路 | Comments(0)

From Koguchi to Ukegawa 小口~請川へ

  熊野古道最終の道、大雲取超え、小雲取超えは古い時代から、天国に一番近い地とされてきました。「小雲鳥」とも言われ、藤原定家の『熊野御幸記』によれば、那智から「雲取、紫金超え」を通ったと記載があり、紫金超えが小雲取超えではないかと思われます。この二つの山越えの道は熊野古道の中でも難所中の難所とされています。
  5月17日、KIGAから14名が歩きました。

   It's transmitted from the old times, the last road of Kumano Kodo, Ogumotori-goe and Kogumotori-goe are said to be the most nearly place to Heaven.
In Heian period, Fijiwara Teika(Sadaie) wrote a travel record "Kumano-gokoki". He says that he passed "Okumotori and Shikin-mine", it seems that Shikon-mine is this Kogumotori-goe(beyond small clouds).
These two mountain roads are the hardest roads in the Kumano Kodo road.

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  小口バス停から郵便局の前を通り、自動車道をしばらく歩いて、トンネルの上の道を小和瀬バス停に向かいます。小口自然の家の前にトイレがあります。小口バス停から小和瀬バス停まで約1km。 
Pass throught the Koguchi post office from the Koguchi bus stop and head to Kowase bus stop. Walk the concrete road for a while and take the road above the tunnel.
You can see the public wash room in front of Koguchi-sizenno-ie (Nature's house). From Nature's house to Kowase bus stpo it is about 1km.

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 小口トンネルの上の道を歩きます。道路の右手の石段を上がって旧道に入りましょう。
Let go up the stone steps on the right side, it is an ancient road.


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  道路沿いの塀には野草が多くみられます。ユキノシタが咲いています。
Many wildflowers are growing on the fence along the road. Here you can see Yukinoshitas are in bloom.

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  500mほど歩くと、左手に小さな祠が見えてきました。
After walking 500 meters, you can see a small shrine on your left.

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 庚申塔(こうしんとう)です。台座に三匹に猿が刻まれています。庚(かのえ)申(さる)の日に、人の体に住むサンシという虫が、その人の行状を天帝に告口するので、その日は一晩中寝ないで起きているそうです。庚申の日は60日に一度回ってきますが、陰陽を合わせると60年に一度、という考え方もあります。申(さる)が時代の経過とともに、猿となり、いつしか台座に猿が刻まれるようになりました。三匹の猿はそれぞれ、見ザル、聞かザル、言わザルです。

This is the Koshin-to. There are three monkeys carved on the pedestal.
The villagers got together all night without sleeping on the day of Koshin(Kanoe Saru). Because the insenct named Sanshi was beleaved to be living in each human body who tells Tentei(King of Heaven) any bad actions they may do. The day of Koshin comes around every 60 days.
With the passage of time, it became the monkey with the same pronunciation as Koshin(Kanoe saru, saru=monkey), and monkeys were carved on the pedestal.
  Each monkey has a name, one is called Mizaru(don't look at bad things), one is called Kikazaru (don't listen bad things) and anotherr one is called Iwazaru(don't say bad things). You may also have them call, hear no evil, see no evil and speak no evil.

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 野仏を見ながらトンネルの上の道を歩きます。坂を下るとさらに数体の野仏が並んでいます。
Walking along the tunnel while watching the small Buddaha. As you go down the slope a few more Buddha are lineing up along the road.

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 大きなセンダン(アフチ)です。5月には小さな花を咲かせています。
It is a big Sendan(Ahuchi).Small frowers are blooming in May.

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 小和瀬バス停から赤木川にかかる赤木橋を渡ります。昭和29年、この橋ができるまで、ここを通る人たちは渡し場を利用していました。小和瀬渡し場跡があったところです。
Cross the Akagi Bridge over Akagi River from Owase bus stop. This bridge was made in 1945, before that the people passed this river by ships. There is a trace of the Kowase Passage.

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 小さな標識がありますので、見落とさずに、ここから左折します。
There is a small sign, so do not overlook, turn left here.

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 いくつかの標識を見ながら、右折、左折を繰り返します。急な坂を上った所に「30」と記載されて木の標識があります。これは熊野古道を訪れる人のために500mごとに建てられた距離を示す標識です。ここが30で、目的地の請川が54ですから、これから約12km歩くことになります。
While lookong at some signs, turn left, turn right, repeat. There is a sign of tree where you climbed a steep slope. "30" is stated. This is a sign indicating the distance built for walker visiting Kumano Kodo. It stands every 500 meters.

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 登り坂が続きますが、平坦な道もあるので、ほっとします。
The climbing slope continues, but there are also flat road, so the pilgrims are relieved.

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 左手に石組の厨子があり、大小2体の石仏が祀られています。
There is a stone pagodas on the left hand side, and two big and small stone Buddhas are enshrined in it.

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  尾切地蔵です。大きい石仏の台座に「文化七年牛の三月建立 施主小和瀬中」と刻まれています。道中の安全祈願のため、村人たちが共同で建立したようです。
It is Ogiri-jizo. it is engraved on the pedestal of big Buddha, " Bunka 7 year march establishment owner Kowase-naka". It seems that the villagers co-founded for the safety of pilgrims.

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 古道はなおも登り坂です。 The ancient road is still climbing a slope.

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 白樺の木はブナでしょうか?

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 木の標識があります。 There is a wood sign board.

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 31です。かなり歩いた気がしますが、まだ500m?
It is written to "31". We walked pretty well, is it still 500m?

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 さらに上り坂が続きます。少し休憩したら、また歩きましょう。
The uphill continues still more. Let's walk again after a little break.

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 道路沿いにひっそりと咲く花が、歩く人の心を和らげてくれる気がします。
Flowers blooming quietly along the road seems to be relieve the hearts of walkers.


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 周囲の景観がかわり、遠くを見晴らすことができます。眼下に赤木川が見えています。
The surrounding landscape changes and you can look far away. The Akag River is visible.

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 ようやく桜茶屋跡に着きました。小和瀬から2,4km。標高差450mです。
Arrived at Sakura-Jaya, it is 2,4km from Kowase, The altitude difference is 450m.

桜茶屋跡/Sakura-jaya Tea House remains

茶屋の店先に桜の大木があったので、桜茶屋と呼ばれていました。ここから南に見える楠の久保辺りを通る白衣の参詣者の一団を見かけると、茶屋の主人は大急ぎで湯を沸かし、餅をついたそうです。またはるか下の方から、桶に入れた水を頭に載せて運んだと伝わっています。
 茶屋は明治の末までありました。また、大正8年、宗教の建物として使われた記録も残っています。

Sakura-jaya Teahouse was named after a giant cherry tree that was located close by. In the old time when the teahouse owner saw pilgrims wearing white clothes approaching, he would start cooking rice cakes and boil water for tea.
He had carried water from far below by a pail on his head. It functioned as a teahouse up untill the early 20th century. (Y.S)


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 桜茶屋跡から数十メートル歩いた所に珍しい野生の花を見つけました。フタリシズカです。本当は花芯が2本あるのですが・・。
A rare flower is blooming where you walk tens meters from Sakura-jaya ruins. It is Hutari-shizuka (Two persons quiet)
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 この辺りに群生しています。 There are a lot of Hutari-shizuka.
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 「どちらへも遠く山路やおそ桜」。古道沿いに数基の歌碑が建っています。
" It is a long way to go through any road, I see cherry blossoms bloom late"
You can see several monuments which Tanka(Japanese poems) is written on it.

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 桜茶屋跡から桜峠まで、まだまが急な登り坂が続きます。桜茶屋跡から桜峠まで約0,5km。
From Sakura-jaya tea house ruins to Sakura-toge pass still steep climbing slope continues. It is about 0,5km from Sakura-jyaya to the top of the Sakura Pass.
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  峠の下り坂。左側の岩盤はどうしてできたのでしょうか?地球の変動によってできたかも?
Downhill of the pass. How did this rock mass be made? Maybe it happend due to changes in rock mass of the Earth?

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  木の根っこが岩盤の間に食い込んでいます。すごい生命力ですね?
  The root of the tree is biting between the rock. It is a big force of this tree.

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  「三界萬・・」の文字を刻んだ石塔。三界とは人の迷いの世界のことで、地獄、餓鬼、畜生をさします。
There is a stone tower carved the wards of "Sankai Man…” Sankai means three world of people's hesitation. Those are said Jigoku(hell), Gaki(brat),Chikusyo(damn it or animal).

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  石堂茶屋跡 Ishido-tyaya remains
   急な登り坂が続く桜峠を越えると、比較的平坦な尾根道となり、杉林の中を進むと石堂茶屋跡に着きます。東屋と歌碑があります。小雲取越えは険しい山越えのため、食料や物品を販売したり、宿泊できる茶屋や旅籠がたくさんありました。
   元文4年の『熊野めぐり』には"石堂峠”に茶屋が2件あり、旅客を泊めていたと記されています。また寛文10年の『熊野詣機構』では"さハのたわ茶屋”と呼ばれています。嘉永元年の『西国三十三所名所図会』には"石砥茶屋”とあり、山中から砥石が採れたため名付けられたと記されています。

You walk above the Sakuratoge pass where the steep uphill slope continues, there become the relatively flat ridge path. When you go among the cedar forest, you will arrive at Ishidi-chaya teahouse remains.
There are arbor and monument is cribed with a poem. There used to be many teahouses and lodgings in Kogumotori-goe that can sell foods and goods and can accommodate because of the harsh mountains.
It is written in ”Kumano-meguri"(travel journal) that there were lodgings for travelers. Moreover, in " Kumano moude kiko"(travel journal) of Kansei 10 years(1789), it was called " Sawanotawa-chaya". In"saigoku 33sho zue",the first year of Kaei(1848),there was "Ishito-chaya" and it was named because of the grinding stone "Toishi" was taken from the mountains. (M.Y)

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 「歩まねバ 供養ならずと亡き母が のたまひてゐし 雲取り来ぬ   嶋 正央作」と書かれています。母と子の思いが伝わる句ですね。
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 賽の河原地蔵
  石堂茶屋跡から、ゆるやかな下り道を約1,1km歩くと林道に出会い、左折して100mの所にトイレがあります。このコースで唯一のトイレです。林道から百閒ぐらまで0,9km。少し登ります。
Walking down the gentle slope about 1,1 kms from Ishido teahouse trace, you'll encounter the forest road and turn left there. There's a toilet 100m away. This is the only toilet in this course. It's 0,9m from the forest road to Hyakken-gura. You climb a little more.

"塞の河原”とは、死んだ子どもが行く所と言われています。子どもは親の供養のために石を積み上げます。しかし、積み上げられた石は、絶えず鬼に壊されてしまうのです。 その時、地蔵菩薩が現れて子どもを救います。 また地蔵菩薩は熊野で亡くなった人々の霊を弔うとも伝わっています。

 It is said that Sai-no-kawara(Children's Limbo) is the place where dead children go. They piled up pebbles high for the repose of their parents. But it's towers was constantly being destroyed by evil Oni demos. Then Jizo or a Bodhisattva appeared to save them.
It's also believed that Jizo was built here for the repose of the souls of pilgrims who died on the way to Kumano.

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 百閒ぐらです。
  石地力山、冷水山、安堵山と続く果無三脚の山々と、コンニャク山、野竹法巣山が連なる大塔の山並みを果てしなく望む景観が、多くの人を魅了してやみません。お地蔵さまが旅人を見守ってくれています。
 
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 歩いて歩いて、No50まできました。あと2km。頑張りましょう。

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 右手の前のほうに熊野川が見えてきました。本宮は近い!

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 本宮の請川へ下山する途中、民家の庭にブラシの木が見事に赤い花を咲かせています。
 ようやく着きました。今日も1日、全員無事に歩くことができました。熊野の神さまに感謝です。


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by wakayamakiga | 2018-05-31 20:19 | Kogumotori-goe/小雲取超え | Comments(0)

KIGA 熊野・高野国際語り部の会のブログです


by 熊野小僧(kumano kozo)
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